「寝室問題」は皇室にもあった 昭和天皇が変えた「寝室」の作法

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お后女官という“配偶者”

 米窪さんによれば、明治天皇は美子皇后と寝室を共にしなかったという。

「高齢とか不仲といった理由ではなく、それが皇室の伝統なのです。天皇を起こすのも、脇に侍寝したお后女官の役目です。大正天皇の生母・柳原愛子も、成人した4人の皇女の生母・園祥子もお后女官でした」

 お后女官は江戸時代の将軍家や大名家における側室と似た存在であるが、だからといって両者は同じではない。徳川将軍家や大名家の側室には美人であれば町娘でもなれた。しかしお后女官の実家は旧堂上家、明治時代の家格に直すと伯爵、子爵家と厳しく定められており、容姿よりもまず家柄が優先された。つまりお后女官は側室というよりも、むしろ配偶者の色合いが濃いのだ。

 昭和天皇は皇太子時代のヨーロッパ外遊以来、ライフスタイルを欧米風に切り替えていた。それゆえ新婚時代からずっとベッドを使用し、パジャマを着て、皇后と一緒に寝ていたのだ。宮中を変えたといわれる昭和天皇の改革は、寝室にも及んでいたのである。

デイリー新潮編集部

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