『昭和天皇実録』に記載されなかった真実 「英国情報工作員」とも引見した「昭和天皇」復興のインテリジェンス――徳本栄一郎(ジャーナリスト)

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『昭和天皇実録』は、約24年の歳月をかけて昨秋ようやく公表された。しかし、そこには世界各国のVIPとの詳しいやりとりは記載されていない。ジャーナリストの徳本栄一郎氏が、各国の機密文書を基に昭和天皇“復興のインテリジェンス”を浮かび上がらせる。

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 第2次大戦終結から70年の今年は、国内外で戦後史の検証が行われている。中でも、今なお圧倒的に強い関心を呼ぶのが昭和天皇である。87年の生涯は敗戦から占領、そして復興と、まさに激動の時代だった。

 その生涯の動静を記録したのが、昨年9月に宮内庁が公表した『昭和天皇実録』(以下、『実録』)である。膨大な公文書や側近の日誌を基に年月日順に記述され、分量は全61巻、約1万2000ページに及んだ。私も大きな興奮を覚えながら読んだが、同時にある種の物足りなさも感じた。

 生前、天皇の下には世界の数多くの大物政治家、実業家、宗教指導者らが訪れた。彼らとの会見は現代史そのもので、国際政治の内幕を照らすはずだ。そのやり取りが『実録』からほとんど抜けているのだ。

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 これまで私は世界中の様々なアーカイブで日本関連ファイルを収集してきた。各国の外務省、軍部、情報機関などが作成した文書で、膨大な皇室ファイルも含まれる。そして、そこからは『実録』に書かれなかった昭和天皇の素顔、現代史の実像が浮かび上がってきた。

 天皇がその生涯で直面した最大の危機、それは敗戦から6年以上続いた占領である。45年9月2日、東京湾上の戦艦ミズーリで降伏文書に調印して連合国の日本占領が始まった。翌年1月の「人間宣言」に続き、極東国際軍事裁判、日本国憲法の制定と激動の日々が続いた。ポツダム宣言の受諾で天皇制護持の了解は取ったものの、その保証は心もとないものだった。国内では連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが絶対権力者に君臨し、日本政府は混乱の極にあった。ソ連や豪州は天皇を戦犯として裁くよう求め、米国の世論も厳しかった。

 そうした中で危機突破のため天皇が取った手段、それは欧米で隠然たる力を持つ人物への接近だった。彼ならマッカーサーと対等に渡り合い、必要なら圧力をかけられるかもしれない。全世界のキリスト教徒の聖地バチカンのローマ教皇であった。

 実際、『実録』の占領期の記述を見ると、キリスト教会幹部との相次ぐ会見が目を引く。一例を挙げる。

 46年7月19日に「午前十時、表拝謁ノ間において、今般日本のカトリック教徒への使節として来日の米国人司教ジョン・F・オハラ、同ミカエル・J・レーディに謁見を仰せ付けられる」とある。

 ジョン・オハラとミカエル・レディは米政界に太いパイプを持つ司教で、その約2週間前から来日し各界指導者と会見していた。帰国後、2人が作成した訪日報告書をワシントンの米カトリック大学が保管している。その7月19日の記述を読むと『実録』とはかなりニュアンスが違う。

「天皇は教皇ピウス12世のたゆまぬ平和への努力を称賛し、(中略)司祭や信者が日本で行う教育・社会活動に感謝を表明した。東京の修道会は壁に皇室の写真がかけられ、毎日シスターが天皇のために祈っていると伝えると喜び、その修道会の名を訊ねてきた。25年前、皇太子時代に天皇は教皇ベネディクト15世と謁見し、これ以上の名誉はなく今でも鮮明に覚えているという。彼はバチカンを訪問した唯一の皇族らしい」

 ここで重要なのは天皇がわざわざ皇太子時代のローマ訪問を持ち出し、バチカンとの結びつきを強調した事だ。天皇がかねてローマ教皇庁に接近を図っていた事はよく知られる。

「私は嘗て『ローマ』訪問以来、法皇庁とは、どうしても、連絡をとらねばならぬと思つてゐた、(中略)開戦后、私は『ローマ』法皇庁と連絡のある事が、戦の終結時期に於て好都合なるべき事、又世界の情報蒐集の上にも便宜あること竝(ならび)に『ローマ』法皇庁の全世界に及ぼす精神的支配力の強大なること等を考へて、東条に公使派遣方を要望した次第である」(『昭和天皇独白録』)

 確かにローマ教皇庁のインテリジェンス収集はずば抜けている。全世界に数十万人の司祭を配置し、彼らは常時現地の情勢を報告してくる。その情報網は英米の諜報機関を凌駕するとされる程だ。占領下でマッカーサーに対抗するため、天皇がローマ教皇を利用しようとしてもおかしくなかった。それを示唆するのが『実録』の48年1月23日の記述だ。

「午前、表拝謁の間において、財団法人慈生会理事長フランシス・ヨゼフ・フロジャック(フランス国人神父)を皇后と共に御引見になる。この度の御引見は、フロジャックが、ローマ法王庁等に日本のカトリック教会の現状を報告することを機に、四十年ぶりに帰国することによる」

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