産後2年経っても妻との営みが復活しない…「やめて、汚い」と拒まれた夫 その後、妻がホテルから救急搬送されたとの連絡が
【前後編の後編/前編を読む】「両親の営みを見ちゃった」父は愛人が何人もいるのに…子どもながらに“偉い”と思った そんな息子が歩んだ恋多き人生
杉浦浩二郎さん(42歳・仮名=以下同)は、複数の愛人をもつ父親のもとで育った。母親はそんな父親を愛し続け、浩二郎さん自身も、ひとりの女性と生涯をともにすることに違和感を抱くように。学生時代から女性との関係が途切れることはなく、社会人になってからも結婚する気はないと公言し、時に避難された。ところが仕事を通じて4歳年上の志津香さんと出会い、その考えは変わった。孤独であることを当然のように受け止める彼女の強さに惹かれ、初めて自分から結婚を申し込んだのだ。ところが答えは「ノー」。それでもふたりは一緒に暮らし始め、半年後、志津香さんの妊娠がわかった。
***
【前編を読む】「両親の営みを見ちゃった」父は愛人が何人もいるのに…子どもながらに“偉い”と思った そんな息子が歩んだ恋多き人生
志津香さんが妊娠したことで、浩二郎さんの気持ちはますます結婚に傾いた。子どものためにと彼女を説得したが、婚姻届を出さなければ信頼関係が築けないのか、子どもとの親子関係も作れないのかと反論されて返す言葉がなかった。
「結局、事実婚を選択しました。なんだかんだ言っても、子どもができたことで僕は『一般常識に近い保守的な家庭』を目指すようになったような気がするんです。子どものことを考えたら、他の人たちと同じようにするのが幸せへの道なのではないかと思って。志津香は、もちろんそんなふうには思っていなかったでしょうけど。最初からすれ違いのカップルではありました」
彼が28歳のとき、志津香さんは32歳で娘を出産した。もちろん彼は娘を認知した。親子3人で密接に暮らし、彼女を助けたいと思ったので、育休を申し出ようとしたが志津香さんに反対された。「むしろ、しっかり仕事をしてもらったほうがありがたい。それが現実」と彼女はいった。彼女自身も半年ほどで仕事に戻った。フリーランスだから自分が動かなければ仕事にはありつけない。それが彼女の口癖だった。とはいえ、仕事をしているときの彼女は決してがつがつしておらず、ぬかりなく積極的な広報をしてくれるので評判がいいのは誰よりも浩二郎さんが知っていた。
「最初のうち、娘は志津香の知り合いの元保育士が見てくれていました。その後、保育園に空きができて入ることができた。僕もけっこう定時で帰ることが増えました。そのあたりは協力しながらやっていこうと話していたので。子どものことは本当によく話し合いました。その一方で、僕らふたりについては少し心の距離があいたような気がします」
性的な関係は復活しない…
志津香さんは出産後、浩二郎さんからの誘いを断るようになっていた。そんな気になれないというのが理由だった。出産後は子どものことが気になるし、彼女は忙しいのだからしかたがないと思ったものの、娘が2歳になっても性的な関係は復活しなかった。
「業を煮やして、ある日、妻のベッドに潜り込んだんです。そうしたら『やめて、汚い』と言われました。汚いってどういうことなんだと、僕はその晩、一睡もできなかった。ショックでした。翌朝、それとなくその話を持ち出したら、志津香は『ねぼけていてまったく覚えてない』と。もう絶対に誘うまいと思いましたね。僕にだってプライドがある。彼女とは性的にとても合うと思っていたので苦しかったけど……」
1ヶ月ほどたったころ、志津香さんからそれとなく誘われたが、「疲れてる」と断った。すると彼女は「わかった。じゃあ、今後、うちはそういう関係はナシということでいいわよね」とあっさり言った。それはないだろう、最初に断ったのはきみのほうだと言うと、覚えていないことを言われても困ると返された。
「たいしたことじゃないのかもしれないけど、そこに志津香の心の歪みみたいなものを見たような気がしました。彼女の強さは孤独に裏打ちされているから、自分は孤独じゃないと認識することができないというか、認識したら強くいられないと思い込んでいるのかもしれない。僕はどんどん寄りそいたいと思うようになっているのに、彼女は日常生活の中で孤立したがっていた。孤独でないと自分ではないと思っていたのかなとも感じますが」
[1/3ページ]


