死球に激怒して投手に襲いかかり、記録達成でバンザイも…プロ野球史に残る「死球王」たちの仰天エピソード
投手からボールをぶつけられ、怒りのあまり相手に襲いかかる。かと思えば、死球を受けて喜びのバンザイを披露する選手も……。同じ死球でも、打者の反応は実にさまざまである。【久保田龍雄/ライター】
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死球に激怒してバットを投げつけ
今季、阪神・森下翔太が20死球を記録し、3年連続でセ・リーグの死球王となった。セでシーズン20死球に達したのは、2004年の広島・グレッグ・ラロッカ(23個)以来22年ぶりだ。
死球は時に乱闘騒ぎを引き起こし、選手生命を脅かす大ケガにつながることもある。一方、球史を彩る名打者たちは、死球を巡って思いもよらないドラマを生んできた。そんな記憶に残る死球王たちを振り返ってみたい。
歴代最多の通算196死球を記録した清原和博(西武→巨人→オリックス)は、死球を巡る数々の騒動でも知られる。
特に有名なのが、1989年9月23日のロッテ戦だ。
平沼定晴から左肘に死球を受けた清原は、直後にバットをマウンドに向かって投げつけ、応戦しようとした平沼に襲いかかった。このシーンは、テレビの乱闘特集などで繰り返し紹介されている。
当時、死球を多く受けていた清原は、ロッテ戦の直前に「今度危ないボールを投げられたり当てられたりしたら、先輩でも後輩でもぶん殴ってやる」と宣言していた。
この日も平沼が「投げる前から狙っているような感じやった」と故意死球を確信。「カッとして、気がついたらバットを投げていた」と振り返っている。
清原には制裁金30万円と2日間の出場停止処分が科され、連続試合出場記録は「490」でストップした。
翌24日、25日と清原は出場できず、西武にとっては大きな痛手となった。同年、近鉄にわずか0.5ゲーム差でリーグ5連覇を逃したことを考えると、「カッとした」代償は大きかった。
「今度やったら、しばいたる」清原と藪の因縁
巨人移籍後も、清原は死球を巡って多くの話題を提供している。
代表的なのが、阪神・藪恵壹との“死球騒動”である。
FA移籍1年目の1997年、清原は藪からシーズン3個の死球を受けた。
3度目の死球では、清原が3本指を立てて「今度やったら、しばいたる」と警告。これに対し、藪が「(年俸)3億貰ってるってことでしょ」と挑発的に応じ、両者の対決は因縁めいた様相を帯びていく。
翌98年7月10日の阪神戦。5回に藪のシュートが内角高めに抜け、清原の右手をかすめた。前年から数えて4個目の死球だった。
怒った清原がマウンドに詰め寄ろうとすると、周囲の選手が制止に入り、あわや乱闘の騒ぎとなった。
清原はなおも藪をにらみ続け、試合後には「仏の顔も3度とあるが、(4度目は)それを超えとる。今度来たら顔をゆがめたる」と予告した。
ところが、勇ましい発言とは裏腹に、清原は藪の内角攻めに苦戦。対戦時には思うように打てず、死球を巡る因縁ばかりが注目を集めることになった。
2005年5月11日のオリックス戦では、山口和男の147キロの直球がヘルメットを直撃。鬼の形相で山口をにらみつけ、「謝れ! こっちに来て謝れ!」と咆哮した姿を覚えているファンも多いだろう。
さらにオリックス時代の2006年4月20日、日本ハム戦でダルビッシュ有から左手小指の付け根付近に死球を受けると、「次に当てられたら、そいつを倒す」と過激な発言を残した。
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