「90歳を過ぎてもピアノの練習」「作った童謡は300曲以上」 服部公一さんが忘れることのなかった子供心

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回取り上げるのは、今年8月、肺炎のため93歳で逝去した、作曲家・服部公一さん。

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 マーチったら チッタカタァ こうしんだ――の出だしが印象的な「マーチング・マーチ」など童謡の作曲で知られる服部公一さんは、自身を“作曲屋”“音楽屋”と呼び、肩肘張ったところがなかった。

 一時期は幼稚園の園長先生を務めた。ピアノを弾くと園児が取り囲むように群がり、歌っていた。音楽はまず楽しむことだ、と身をもって伝えた。大人になってどんなに頭が良くなろうと、まず心が豊かでなくてはという考えだった。

 日本童謡協会の会長で作曲家の早川史郎さんは言う。

「服部さんは子供の歌だからこれぐらいでなどと考えない。子供たちがすぐに覚えて友達や家族とのびのびうれしそうに歌う姿を思い描いて作曲していた。歌詞の言葉を大切にし、詩人、作詞家とよく話し合った。だからこそ60年以上歌い継がれているのです」

作曲した童謡は300曲以上

 1933年、山形市生まれ。父は彫刻家。両親が離婚し、父方の祖父母に育てられる。祖母は東京音楽学校(現・東京藝術大学)に進むも、結婚により音楽への道を諦めていた。

 服部さんは学習院大学に進み、在学中の50年代半ばからNHKで教育番組を中心に演奏や作曲を依頼され始める。

「子供が歌える、理解して共感できる曲をまず考えました。ジャズやラテンなど新しい感覚も童謡にどんどん取り入れた」(早川さん)

 谷川俊太郎が作詞した「月火水木金土日のうた」にスイング・ジャズ調で家族そろって歌える雰囲気の曲をつけ、フランク永井らが歌って62年にヒットした。阪田寛夫作詞で天地総子が歌った「マーチング・マーチ」は65年に日本レコード大賞童謡賞の栄に輝く。

「『アイスクリームのうた』も今でも人気です。甘くて冷たいアイスがのどを通っていく様子を子供たちが感じるように曲に変化をつけたりと、服部さんらしい工夫が表れています」(早川さん)

 作曲した童謡は300曲以上。加えて「アパッチ野球軍」などアニメやドラマ、映画の音楽、合唱曲に校歌と多彩だった。頭の中に流れてきた曲を楽譜に書き起こし、完成して初めてピアノで弾いていたという。

 作曲を終えても頭がさえて寝つけない時にはトイレ掃除で気持ちを鎮めた。割りばしの端を噛んでササラ状にし、便器の細部を磨くといいと力説。いぶかしがられると、取材を受けて自ら実演した。

 掃除、洗濯や料理が好きなのは、40歳過ぎまで独身だったからとか。75年、レコード付き絵本の編集者の康子さんと仕事が縁で結婚。2女を授かった。

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