「パランティア」に「アンドゥリル」 なぜ『指輪物語』は米国テック右派に愛されるのか
米テック企業のPalantir(パランティア)、Anduril(アンドゥリル)の社名が、J・R・R・トールキーンの『指輪物語』のアイテムに由来することは、今となっては知られた話だ。データ分析と防衛テクノロジーを手がけるIT企業が、なぜファンタジー小説の固有名詞を掲げるのか。背景にあるのは、ピーター・ティールをはじめとする“テック右派”と呼ばれる人々の、『指輪物語』への深い傾倒がある。しかし、『指輪物語』は1960年代のヒッピー文化と結びついた“左派の古典”という印象も強かった。なぜ、1つの物語が、正反対の政治的立場から読まれるようになったのだろうか。(ライター、翻訳家・森瀬繚)
※本稿は新潮QUEにて配信中の記事【パランティア、アンドゥリル――なぜ“テック右派”は『指輪物語』を社名にしたがるのか】の一部を抜粋・編集したものです。
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『指輪物語』に登場するワード
AIのビジネス進出や、中東やウクライナにおける無人兵器の応酬に絡んで、近年、Palantir TechnologiesやAnduril Industriesといった、欧州各国の言語の語彙とは異なる、奇妙な響きの名称を掲げたIT企業が、しばしばニュースメディアを賑わせている。つい先日にも、過去最高の増収増益を更新したPalantir Technologiesの決算が、大いに話題になったばかりだ。
“奇妙な響き”と書いたが、これらの名称は、ある種の人間にとっては決して耳慣れぬものではない。「Palantir」も「Anduril」も、本邦のエンタメ業界においてはしばしばファンタジーの元祖と見なされ、今世紀頭に映画『ロード・オブ・ザ・リング』三部作が公開されて大いに人気を集めたファンタジー小説、J・R・R・トールキーンの『指輪物語 The Lord of the Rings』──ひいては、その背景となる人工的な神話世界“中つ国(ミドルアース)”に由来するワードなのである。
「Palantir」と「Anduril」
Palantir(最新の邦訳書籍では「パランティール」)というのは『指輪物語』に登場する魔法の道具で、上のエルフ(ハイエルフ)の言葉で「遠くから見張るもの」を意味する。全部で7つあって、覗き込むことで遠方の石と交信し、映像や音声を伝達することができる。通信のみならず国境の警戒にも用いられたとされるので、機能や用途だけを考慮するなら、データ分析や防衛の技術を主業務とする企業の名前として、たしかに相応しいと思えるかもしれない。
ただし、『指輪物語』に実際に登場するパランティールは、いささか不吉な存在だ。作中時期において、この石は自由陣営の大敵である冥王サウロンの強い影響下にあった。冥王はこの石を介して敵国の指導者をコントロールし、あるいは内通者と密かにやり取りを続けていたのである。
Anduril(最新訳では「アンドゥーリル」)についてはストレートで、『指輪物語』の主人公格のひとりであり、冥王サウロン率いる闇の軍勢に相対する国々のリーダーとなるアラゴルンが携える剣の名前だ。前述のパランティールを介し、アラゴルンがこの剣を掲げるのを目にしたサウロンは大いに震撼する。なぜなら、その剣はかつて、彼のパワーの源でもあった“一つの指輪”ごと、彼の指を切り落とした剣そのものだったのだ。
ヒッピーたちの熱狂的な政治的読解
これらの企業名には、明確な傾向がある。その多くが“テック右派”と呼ばれるテクノ・リバタリアン──とりわけ、ピーター・ティールとその周辺の人間に関係のある企業なのだ。現職のアメリカ合衆国副大統領であるJ・D・ヴァンスの会社も、その中に含まれている。
この事実に困惑を覚える人も多いはずだ。なぜなら、『指輪物語』はヒッピー文化やベトナム反戦運動と強く結びつく形で、1960年代北米の大学生を中心に熱狂的な支持を集めた、どちらかといえば左派の文化圏に属するものというイメージが、繰り返し強調されてきたからである。
では、60年代の若者たちは『指輪物語』をどのように受け取ったのか。その最大公約数的な評価は「反権力・自然・共同体の寓話」と言えるだろう。主人公たちの故郷ホビット庄を自給自足の理想的な共同体と見なし、彼らの平穏を脅かすモルドールを、自然を破壊する機械工業・巨大な軍事力・巨大な官僚国家の隠喩として捉えた。“ひとつの指輪”は権力集中の危険性、核兵器の象徴とも解釈された。米軍による北爆と地上軍の本格投入が始まった1965年という時代背景を考えれば、若者たちがこの物語と社会状況を重ねることはきわめて自然な成り行きだった。
ところが、ヒッピーたちの熱狂的な政治的読解は、トールキーン自身の意図とは大きくかけ離れていた。作品を寓話として受け止める若いファンの反応に彼はむしろ困惑し、“嘆かわしい狂信者(deplorable cultus)”という強い言葉で評していたほどだ。
60年代のヒッピーたちは、自分たちが読みたいように『指輪物語』を読んだ。いわば、政治的な再解釈を行ったのである。
テック右派は『指輪物語』をどう読んだか
重要なのは、「同じ物語を読んだ」という事実よりも、「どのように読んだか」である。
テクストは変わらない。変わるのは、読み手が物語に持ち込む時代の文脈だ。60年代の若者たちが指輪戦争とそれを取り巻く状況にベトナム戦争や軍産複合体の脅威を重ねたように、別の時代・別の立場の読者は、別の何かを重ねて読む。物語が偉大であればあるほど、そこに重ねられる像は多様になる。
テック右派の場合、その「好む理由」の一端は、彼らの語り口に透けて見える。『指輪物語』は、小さな者たちが既存の大国や制度の外側に立ち、圧倒的な力を持つ敵に立ち向かう物語だ。自らをアウトサイダーと位置づけ、既成の政治・経済秩序への対抗を志向するテクノ・リバタリアンにとって、この構図には抗いがたい引力がある。
しかし、それだけではない。彼らの証言を丁寧に追うと、ヒッピー世代とは鮮やかに異なる「読み」の輪郭が浮かび上がってくる。モルドールが象徴するものも、“ひとつの指輪”が意味するものも、60年代とは正反対と言っていいほど違う解釈が現れる。
そして、その読みの文脈に立ち返ったとき、なぜパランティールという「不吉な石」の名を、あえて自社に冠したのかという問いに、初めて一つの答えが見えてくる。
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新潮QUEで配信中の前後編記事【パランティア、アンドゥリル――なぜ“テック右派”は『指輪物語』を社名にしたがるのか】と、【ITから遠く離れた『指輪物語』が「ティール」「ヴァンス」「マスク」の“共通言語”となった世界観を探る】では、ピーター・ティールやイーロン・マスク、そしてJ・D・ヴァンスといったアメリカの“テック右派”や“新右翼”が『指輪物語』の世界観に傾倒する理由を詳しく解説している。


