“総工費400億円”と“常軌を逸したこだわり”が生んだ「ホテル川久」…バブル建築を代表する南紀白浜の“名城”
紀伊半島の白浜といえば関西を代表するリゾート地であり、パンダが“いた”テーマパーク「アドベンチャーワールド」で有名だろう。そんな白浜には、関西の名だたるレジャー施設に匹敵……いや、それらを遥かに上回る名所がある。建築マニアの間では“バブル期を代表する名建築”と名高い「ホテル川久」だ。
白浜の温泉街をクルマで走っていると、いきなり現れる黄色の建物に度肝を抜かれる。どう見ても西洋の古城である。ホテルには見えないどころか、ここが日本かどうかさえ疑わしくなる。ただただ、「凄い」「なんだこれは……」と感嘆しつつ、見入ってしまうほどの迫力なのだ。
1991年に完成した圧倒的なインパクトの建築は、莫大な費用と手間をかけ、施主と建築家が造り上げた“夢の城”である。その後の平成不況も乗り越え、当時と変わらない姿で現存しており、バブル期の空気感を令和の時代に伝えている。二度と造ることができないといわれる傑作建築は、いかにして誕生したのだろうか。【取材・文=山内貴範】
【豪華】「バブルの名建築ホテル」の荘厳すぎるロビーの天井を支える「1本1億」の柱
世界に誇れる数寄屋の結晶を
ホテル川久のルーツは大阪船場出身の河内屋久兵衛が開いた旅館「河久」で、戦後、実業家の安間千之氏が買収して“ホテル川久”に改称。当時は純和風の旅館で、1971年には国民体育大会に訪れた昭和天皇・皇后両陛下が宿泊するなど、白浜有数の格式を誇っていた。それを建て替える計画が立ち上がったのが、バブル景気の真っ只中、89年のことである。
設計を担当したのは、永田祐三氏が主宰する永田・北野建築研究所(現:永田建築研究所)である。当初、永田氏が提案したのは箱型のイメージだったという。ところが、安間氏の娘・堀資永氏はそれに満足せず、「世界一のホテルにしたい」「世界中の数寄屋建築の美学を結集した唯一無二のものを」と要望したという。
これには永田氏も度肝を抜かれたことだろう。現在の建築はまず予算を先に立てて、その範囲内に収まるように設計が進められるのが普通である。バブル期はまったく逆だ。まずはデザインを先に考える。そして、信用があれば銀行が融資をしてくれたから、やろうと思えば予算度外視で建設が可能だったのである。
社内で“マダム・ホリ”と呼ばれた堀氏のこだわりは尋常ではなかった。建設に際して陣頭指揮を執り、次々と浮かぶアイディアを永田氏に伝え、具現化していった。当初は約200億円の規模でスタートしたが、遥かに超える壮大なスケールの建築へと発展していき、最終的には総工費約400億円という巨費を投じて完成をみたのであった。
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