「太地喜和子さんがまだ海中に残っていると」…92年に不慮の事故で世を去った大女優 消防署員らが明かした救助現場の一部始終
芸人としてのサービス精神が旺盛
女優・太地喜和子さんが伊豆の海に車ごと落ちて亡くなったのは、1992年10月13日未明のことだった。
【写真】渡辺徹さんらが棺を運んで…「太地喜和子さん」若き日と最期の地
太地さんは高校在学中、東映ニューフェイスの第6期に合格。志村妙子の名で映画に出演したが、劇団俳優座の養成所に入った。「俳優座花の15期生」と呼ばれる同期は、地井武男さん、原田芳雄さん、赤座美代子さん、栗原小巻さんらスター揃いで知られる。太地さんは1年留年したため16期生として卒所した。
1967年、文学座に入団。圧巻の演技力とオーラで文学座の看板女優となる一方、奔放な男性遍歴や酒豪伝説でもその名を轟かせた。が、生前はもちろん死後も、芸能人に付きまとう悪い意味でのゴシップが見当たらない稀有な存在でもある。演劇担当記者とも明るく楽しい酒を飲み、恋愛に関しても隠すことをしなかった。
「役者という職業は、自分のすべてをさらけ出さなければならない面がある。太地喜和子はまさにそれを実行した女優でした。男とつきあっても、この人とは同棲していたけれども、この人とは単につきあっただけ、とみんな公表してしまうのですよ。そもそも芸人としてのサービス精神が旺盛なのですよ。そんなに喜ばれるのならば、ってな感じで……」(芸能評論家の桑原稲敏氏、「週刊新潮」1992年10月29日号)
大輪の花として咲き誇った太地さんはなぜ、伊豆の暗い海で48歳の生涯を閉じたのか。「週刊新潮」のバックナンバーで最後の夜を振り返る。
(全2回の第1回:「週刊新潮」1992年10月29日号・1998年9月3日号・2016年2月25日号を再編集しました。文中の年齢、肩書き等は掲載当時のものです)
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舞台を終えて市内の盛り場へ
1992年10月12日、伊東市観光会館(静岡)で上演された舞台「唐人お吉ものがたり」の後、太地さんと2人の男優は、市内の盛り場を3軒ハシゴした。
1軒目がタクシーの運転手に教えられた割烹。2軒目が割烹オーナーの兄が経営するスナックだった。割烹にはだいたい夜10時から12時ごろまで。3人でビール2本に焼酎の四合びんを1本。
「帰るときはみなさん、全然しらふのようでしたよ」(割烹)
2軒目のスナックで3人が飲んだのは、スコッチをダブルで一杯ずつ。
「太地さんはベレー帽をかぶって、少し大きめで色の薄いサングラスをかけていました。ウチにいたのは30分ほどでしょうか」(スナック)
この後、3人は「ランジェリースナックA」に向かう。後でわかった話だが、実は割烹から2軒目のスナックに移動する途中で、3人は客を送りに出た「A」のBママ(43=当時)を見掛けていた。特に男優2人がその和服姿に見惚れ、太地さんも話に乗り、3軒目は簡単に決まったらしい。呑ん兵衛によくある他愛のない選択である。
が、この出会いが事故につながったのだ。
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