「山崎豊子さん」「池田満寿夫さん」も登場したSNSなき時代の“双方向”連載! 著名人の“お尋ね”に読者が“返事”をする週刊新潮「掲示板」の妙味
「原稿料が来ない」作家と、楽譜をなくした“世界のタケミツ”
作家・エッセイストの森茉莉さん(1903~1987)は、森鴎外の2番目の妻の長女で、である。当時、週刊新潮でTV評「ドッキリチャンネル」を連載しており、独特な表現による強烈な批評がたいへんな評判となっていた。次は誰がどんなふうに書かれるのか――芸能界は、毎週木曜日の週刊新潮の発売を震えて待った。そんな森茉莉さんが、1980年1月31日号に、困惑顔の写真とともに、以下のような驚くべき“お尋ね”を掲載した(当時77歳)。
〈本誌に連載の「ドッキリチャンネル」にも書いたことですが、佐藤佑介と黒沢浩について、ある雑誌に原稿を書いたことがあります(注:ともに往時の美少年俳優)。ところが、原稿を雑誌社の方にお渡しして数か月になるのに、いまだに掲載誌も、それから稿料も送ってもらえないでおります。ものを書きはじめて二十余年、そんな不思議な経験は皆無でしたので、雑誌の名をひかえておいたりしませんでした。私のつけた題は「佐藤佑介、黒沢浩」というのですが、もしお読みになった方がいらっしゃいましたら、その雑誌名をお教えいただきたいと思います。もう一回、実は同様の不思議な経験があります。そちらの題は「玉三郎、その他の女形」というものです。前者は四百字原稿で四枚程度、後者は七枚半です。〉
これにかんして“ご返事”は掲載されていないが、おそらくすぐに判明したはずである。当時、週刊新潮に在籍していたあるOB氏によると、
「森茉莉さんは、強烈で面白い文章をお書きになる一方、とにかく物忘れが激しく、よく編集部に電話をかけてきては、毎回『あの~、ご担当の方、なんとおっしゃいましたか、お名前を忘れてしまったのですが、原稿ができておりまして……』と、申し訳なさそうに話していました」
最後に、ある意味《掲示板》を契機に世界的な名曲が生まれた――ともいえる“お尋ね”をご紹介しよう。1978年4月13日号に、当時すでに“世界のタケミツ”と称されていた大作曲家、武満徹さん(1930~1996)が登場したのだ。
〈ふとした不注意から、私の処女作である『ピアノのための“二つのレント”』のオリジナル楽譜を紛失してしまいました。書籍や新聞等を整理した際、誤ってその中に紛れ込んでしまったらしいのです。楽譜の表には、イタリア語で“Lento in Movimenti”と書かれ、私のサインも入っていたはずです。ただ一部しかない楽譜で、私自身も二度と同じものを書くことが出来ないのですが、もし万が一にもお心当りのある方はご一報ください。――六月初旬に東京・西武劇場で行われる『今日の音楽』というコンサートで演奏したいと思っているのです。〉
1950年作曲のコンサート・デビュー作《二つのレント》は、さる高名な音楽評論家に「音楽以前である」と酷評されたことで、後年、かえって有名になったピアノ曲である。当時としてはあまりに先進過ぎる音楽ゆえ、一朝一夕には理解されなかったのだ。この評を読んだ武満さんは、映画館の暗がりのなかで泣いたという。
だが、楽譜は見つからなかったようだ(後日、知人の作曲家宅で見つかったが、それはオリジナル楽譜ではなく、筆写譜だったという)。結局、武満さんはオリジナル版を“復活”させることはあきらめる。
1989年にイギリスの音楽プロデューサー、マイケル・ヴァイナーが逝去した際、武満さんが追悼曲を書くことになった。そこで、記憶をもとに《二つのレント》を、《リタニ(連祷)~マイケル・ヴァイナーの追憶に》と題して再構成し、初演・出版した。
いまでは世界中のピアニストが演奏・録音している名曲だが、もし《掲示板》の“お尋ね”で楽譜が発見されていたら……後年、《リタニ》は生まれていなかったかもしれない。
※《掲示板》本文の引用は、主旨を変えない範囲で一部表記の変更、省略があります。また文中のイニシャルは、記事ではすべて実名です。
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