「山崎豊子さん」「池田満寿夫さん」も登場したSNSなき時代の“双方向”連載! 著名人の“お尋ね”に読者が“返事”をする週刊新潮「掲示板」の妙味

  • ブックマーク

「ナンキンムシに食われない方法を教えてください

 豊田有恒さん(1938~2023)といえば、「鉄腕アトム」「宇宙戦艦ヤマト」といったアニメーションに携わったSF作家として知られるが、のちに独特な歴史小説も多く書いた。1979年2月22日号に、いかにも豊田さんらしい“お尋ね”が載った。

〈壬申の乱について調べている。大友皇子は、西暦672年7月に近江京で死んだとされている。ところが、小田急沿線の神奈川県伊勢原や、房総半島などに、大友皇子の墓と伝えられる古墳がある。皇子が近江京を脱出して東国へ落ちのびるという設定で、小説化してみたい。途中の道筋にあたる岐阜、愛知、静岡には、大友皇子にまつわる伝説や墓などは、ないものだろうか? ご教示いただければありがたい。〉

 さっそく翌月、“ご返事”が載った。

〈祖父から聞いた話ですが、私の生まれ故郷の三重県三重郡菰野(こもの)町には、大友皇子が壬申の乱に敗れた後、この地に落ちのびてきたという伝説が、皇子ヶ原という地名とともに残っております。近江から、かつての交通の要所であった八風峠(鈴鹿山脈)を越えてきたのではないでしょうか。(名古屋市 M・Y樹)〉

 豊田有恒さんの構想は、1990年に小説『大友の皇子東下り』(講談社刊)として形になる。“ご返事”が参考になったのか、作中にはたしかに皇子たちが「八風峠を越える」エピソードが登場するのである。

 作家の“お尋ね”は、小説の素材ばかりではない。海外の僻地に行く機会の多かった曽野綾子さん(1931~2025)は、こんな“お尋ね”を投稿している。

〈今夏、聖パウロの調査のためにトルコへ参ります。僻村で宿泊する際の知識がございませんので、お教えくださいませ。(1)ナンキンムシにくわれない方法(もしあれば)。(2)くわれた場合のかゆみを止める有効なクスリ。(3)荷物に混入するかもしれないムシの防除法。――ご経験をお持ちの方のお教えをいただきたく存じます。〉

 翌月、〈戦時中に応召した時の体験〉だという、長大な返答が載った。この号の“ご返事”欄は、この1通のみで埋まってしまった。ダイジェストしてご紹介すると、

〈まずナンキンムシに食われない方法としては、就寝時に皮膚を露出しないよう長袖シャツ、軍手、タイツなどを着用する。軍隊では、手首、足首までの下着を着用していましたが、着衣の中は一度も食われませんでした。かゆみ止めについてはしかるべき薬剤があると思いますが、かゆくても我慢してかかないことが肝要です。かくほどにかゆみが増し、しまいには患部が崩れてアワレな状態になります。なお衣類は煮沸消毒が最も有効かと思います。一度では残っている場合でも、二回目の煮沸で百%絶滅します。(千葉市 K・S郎)〉

 版画家で芥川賞作家の池田満寿夫さん(1934~1997)は、1979年4月26日号で、こんな“お尋ね”を掲載している。

〈高校を卒業して長野から東京へ出てきた私は、飲屋の片隅や街頭で似顔絵かきをやっていたことがありました。1952年から57年までの間で、その間に、東京芸大の受験に失敗したりしたこともあり、私にとって最も苦しい時代でした。もう、当時私が描いた似顔絵をお持ちの方がいらっしゃるとも思えませんが、もし、どなたか保存しておられたら、一度再会してみたいような気もします。どれにも「池田」のサインを入れてあったと記憶していますが……。〉

 池田さんは〈お持ちの方がいらっしゃるとも思えませんが〉と半ばあきらめの様子だが、似顔絵は、ちゃんと残っていた。翌月、こんな“ご返事”が載った。

〈ちょうど(池田さんが)アメリカにお発ちになるという数日前に、阿佐ヶ谷にありました「T」というバーで、似顔絵を描いていただき、現在でも大事に保存しております。当時のことが昨日のことのように思い出され、懐かしい思いがいたします。(東京・中野区 S・E子)〉

次ページ:「原稿料が来ない」作家と、楽譜をなくした“世界のタケミツ”

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。