結婚して14年、もうひとつの家庭をもって8年…43歳夫を形作った「家庭教師先の母親」との関係と「僕は居候」の少年時代

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初体験は家庭教師先の母親…「怖かった」

 アルバイトのお金が入ると、友人とその兄に焼肉をおごった。兄は、大学進学のアドバイスも惜しみなくしてくれた。友人も祥平さんも無事に合格すると、兄は「ちょっと高級な店」でご馳走してくれた。

「大学もその家から通おうと思っていたんですが、両親が帰国してしまって……。それでもいていいよとは言ってくれたけど、そうもいかない。奨学金を借り、祖父に保証人になってもらってアパートを借りました」

 理系の学部だったので実験も多く、アルバイトは家庭教師に限られた。幸い、友人の兄からの紹介でいい家庭教師先が見つかり、苦労しながらも勉強にいそしんだ。

「大学生時代って、楽しい記憶がほとんどないんですよね。よく勉強したなあとは思っています。たまたま興味をもっていた学部に入れたので、勉強が楽しかったし。3年生になって専門課程が増えると、ますますおもしろくて教授室に入り浸っていました。大学院生の研究なども見学させてもらって、しまいには参加してもいいよとまで言われて」

 とは言いつつ、初体験はアルバイトの家庭教師先の奥さんだったと彼は照れながら白状した。中学生の母親だから、当時40歳前後、肉感的な美魔女だったという。記憶が曖昧だけど、たぶん迫られたんだと思うと言う。

「好きとかなんとかではなく、彼女の乱れ方にびっくりして、怖かったのを覚えています。彼女の好きなやり方を徹底的に仕込まれた。『これは誰にでも効果があるとは限らない。私の好きな方法だから』と冷静に教えられたんです。家に誰もいないときに呼び出されたこともあります。ストレートに性欲を肯定する人で、そこは勉強になりましたね」

 ただ、子どもが高校受験に合格すると、彼女はあっさり祥平さんを捨てた。「ありがとう。あなたは最高の男だったわ」と高価な万年筆をくれた。当時はなんだか悔しい思いもあったが、彼は今もその万年筆を大事に使っているという。

 祥平さんは、冷静さを保ちつつも、当時の細やかな自身の感情をきちんと言葉にして語ってくれた。継父や母へのやりきれない気持ちが、彼を勉学へと誘ったのかもしれない。そしてあちこちで「頼れる大人」に出会っている。それもまた、彼がまっすぐに生きてこられた理由のひとつだろう。

「教授からは大学院へと誘われました。僕もそうしたかったけど、将来を考えると、やはり早く経済的に自立したかった。それで勉強したことを活かせる企業に就職したんです」

 決してエリートというわけでもないし、特別に優秀だったわけでもないけど、とにかく学生時代の研究室は楽しかったと彼は今も笑みを浮かべる。就職後は、奨学金の返済に追われたが、それでも仕事を覚えるのはおもしろかったようだ。

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 こうして社会人となった祥平さん。記事後編では、やがて家庭を築いた彼が、「もうひとつの家庭」をもつようになるまでを紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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