結婚して14年、もうひとつの家庭をもって8年…43歳夫を形作った「家庭教師先の母親」との関係と「僕は居候」の少年時代

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僕は居候

 母に恨みをもったわけではないが、目の前で母と男が話すのが嫌だった。母の目には明らかに女としての媚びがあり、それを見るのが恥ずかしかったという。

「妹はすんなり懐いていました。それから1年もたたずに赤ちゃんが生まれて、うちは5人家族になったんですが、僕はその中に入れてもらっていないような気がしていた。妹と弟と両親の4人家族で、僕は居候。そんな感じだったと思う」

 ただ、大人になってから母に「あの頃のあんたは、いつでもカミソリみたいな目つきをしていて、私もおとうさんも怖くて触れられなかったんだよ」と言われたことがあったそうだ。彼自身は、なじもうとしてもなじめない家庭の雰囲気だったのだが、大人からみると反抗してなじもうとしない子と思われていたのだろう。子どもの気持ちを、大人は決してわかろうとしないのかもしれない。

「そんな感じで育ったから、中学では部活のバスケットに熱中していました。ユニフォームを買ってほしいとねだるのが嫌で、先輩からお下がりを借りていたんです。でもユニフォームを一新しようという話が決まって、僕は買えないから部活を辞めると顧問の先生に言いに行きました。先生から親に連絡がいってしまって、いつの間にか僕の新しいユニフォームが用意されていた。家族がいるところで、母に『おとうさんに、ありがとうは?』と促されたのが本当につらかった。結局、ありがとうとは言えず、一礼しただけでしたが、継父は『エースなんだってな。がんばって』と遠慮がちに言っていました。今思えば、継父もどう扱っていいかわからず、困惑していたのかもしれません」

継父に出してもらいたくない…祖父母に借金の申し出

 高校は地元の公立校に合格したが、彼は合格を知ったその足で、母方の祖父母の家へ3時間も自転車を飛ばして行った。子どものころからのお年玉を貯めたお金が10万円あったのだが、高校の初年度費用が20万近くかかることを知り、祖父母に借りようと思ったのだ。継父にお金を出してもらうのは嫌だった。礼を言わされる屈辱をもう味わいたくなかった。

「祖父母は僕をかわいがってくれたけど、継父について話したことはありませんでした。心配させたくなかったから。でもそのときはいきなり現れた孫が、息せき切って『お願い。おばあちゃん、10万円貸して』と言ったのだから驚いたでしょうね。高校の入学費用なんだと正直に話しました。出してもらえないのと聞かれたので、出してくれると思うけど出してもらいたくないと言ったんです。祖母は目を潤ませて『ごめんね』と。自分の行動が祖母をも苦しめてしまったとそのとき感じました」

 高校の初年度費用はそうやって払い込んだが、当然、そのことは母にバレた。「あんたはおとうさんを貶めたいの」と叱られた。視点が違うと彼は痛感した。母は彼の払った10万円を渡そうとしたが、彼は頑として受け取らなかったという。

「高校時代もバスケをやってましたが、だんだんアルバイトに熱が入るようになっていきました。たまたま親が海外駐在していて自宅に兄とふたりで住んでいる友人がいたので、ほとんどそこで寝泊まりさせてもらってた。その兄貴が当時、大学生だったんですが、いい人でね、僕の話を聞いて、ここに住んでいいよと。その代わり、警察につかまるようなことはするなよ、そのときは見捨てるぞと言われて。高校生くらいって危ういですよね、ふとしたことで道を外れてしまう。僕も瀬戸際だったんだろうと思います」

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