「あの神父、なんとなくニオうな」…昭和の未解決事件「BOACスチュワーデス殺し」を追った刑事の“告白”と、松本清張氏が小説で描いた“怒り”

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松本清張氏、“怒り”の小説

 松本清張氏は、「婦人公論」1959年8月臨時増刊号(7月発売)に、ミニ・レポート《「スチュワーデス殺し」論》を発表した。ベルメルシュ神父出国の「翌月」である。あくまで新聞・雑誌の報道をもとにした論考だ。D社が物資横流しに関与していた事実を重視し、被害者Tさんが、神父との愛情のもつれに加え、それら“不祥事”に巻き込まれ、殺害された可能性を示している。末尾は、

〈この事件の捜査が壁につき当たったのも、ベルメルシュ神父の帰国を警視庁が「知らなかった」のも、要するに日本の国際的な立場が弱いからである。そして日本の弱さが、スチュワーデスという一個人の死の上にも、濃い翳りを落としているのである。〉

 との一文で結ばれている。

 そしてこのレポートから3か月後、中央公論社(当時の社名)が発行していた週刊誌「週刊コウロン」で、小説『黒い福音』の連載がはじまった(1959年11月3日号~1960年10月25日号)。先のレポートでの推察にフィクションを交え、D社や教会関係者の“密輸事件”を取り入れた小説である。形式は、ほぼ「倒叙スタイル」。後年、「刑事コロンボ」でおなじみとなる、先に犯人を明かす形式だ。第一部で教団の犯罪や神父が犯行に至るまでが描かれる。そして第二部で、その真実を追う刑事や記者の姿が描かれる。

『黒い福音』は、たしかにミステリ小説ではあるが、根底を貫いているのは、清張氏の“怒り”である。1959年といえば、サンフランシスコ講和から8年後。すでにGHQ(連合軍)の占領は終了し、日本は主権を回復した独立国のはずである。にもかかわらず、まだ、外国にいいようにされ、そればかりか海外の宗教にはつい奥手となる、日本の弱腰ぶりが描かれていた。

 神父(小説では「トルベック」名)の出国を知り、怒り狂った刑事部長が、警視総監室に“怒鳴りこむ”シーンがある。

〈「トルベック神父が遁げました。たった今、羽田の入管から報告が入りました。七時半、エール・フランス機で本国へ飛び去ったそうです」

 刑事部長は、云い放ったあと、警視総監の驚愕を期待した。

 が、その反応は総監の顔からは現れなかった。茫漠とした表情で、瞬き一つしなかった。(略)

「むずかしい事件だったね。ある意味では、この際、トルベック神父に帰ってもらったほうがこちらとしては助かったんじゃないかな。いや、これは君のためも考えて云ってることだ。事件がこじれて、悪くすると、君の命取りにもなりかねないからね」〉

 連載終了から約1年後の1961年11月、『黒い福音』は、中央公論社から単行本化された。書店にならんだその新刊を見て、清張ファンが驚きの声をあげた。通常の文芸書よりもコンパクトな判型で、真っ黒な革表紙にビニールカバーがかけられている。赤いオビには、著者名と書名だけ。よく見ると、表紙の上部に、ぼんやりと、十字架のようなマークが金で箔押しされている。

 この本は、どう見ても「聖書」だった。うっかりすると、よくホテルの室内に置かれている「聖書」と間違えてしまいそうだ。この意外な「装本」担当は、星新一作品の挿画などで知られる、イラストレーターの真鍋博さん(1932~2000)。おしゃれでユーモラスなイラストからは想像もつかない、文字通り「ブラック」な装本である。だがこれも、実は松本清張氏自身のアイディアだったという。小説のみならず、装本にも“怒り”をこめたのだ。

 ベルメルシュ逃亡後、ひたすら事件を追った週刊新潮、そして事件への“怒り”を小説にして発露しつづけた松本清張氏……。

 だが、「ベルメルシュ事件を追った人々」は、それだけではなかった。なんと、神父逃亡のたった4か月後には事件が「映画」化されている。それどころか、後年、カナダまで飛んで、ベルメルシュ本人に会っているルポルタージュ作家もいるのである。

※週刊新潮の記事引用は、主旨を変えない範囲内で一部文章を修正しています。

【後編は「『もう話はすんだ。それではさようなら』…誰もが真相を知りたがった『スチュワーデス殺人事件』“疑惑のベルギー人神父”の肉声」】

森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。

デイリー新潮編集部

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