トランプ大統領のゴリ押しをFIFAは受け入れたのか…行き過ぎたW杯の商業主義は“サッカーのルールすら変える”
庶民の熱狂は警戒すべき現象だが、商売人は熱狂が大好き
私は、熱狂の怖さを主張し続けている。スポーツが巨大ビジネスになりうるのは、観客や視聴者の感動と熱狂があるからだ。熱狂の対極には激怒、憎悪も生まれる。つまり、感情の激しい対立構造によって、巨大スポーツ・ビジネスは成立し、繁栄の度合いを増す。それが果たして世界の平和や民間交流に寄与するだろうか?
スポーツを成立させる唯一絶対の基準が「ルール」だ。スポーツはルールで出来ていると言ってもいい。加えて言えば、ルールに明記されないマナーもあって、明文化されていないマナーでさえも重要な了解事項である場合も少なくない。
ビジネス(商業主義)は、そのルールとマナーを浸食する。今回のW杯北中米大会はスポーツの一貫性、公平性が崩れた歴史的な大会となった。これがどう進むかを推測すると、ルール自体が撤廃・変更される可能性の方を強く感じる。つまり、「中心選手が一発退場によって次の試合に出られないなんて、そんな商業的にマイナスなルールはやめるべきだ」と。
昨年、MLBのコミッショナーが「特別な代打ルールの採用」を提案し、物議を醸した。9回2死の場面で、8番打者が打つより、1番打者の大谷翔平が特別代打となって打席に立つ方が盛り上がる、観客は喜ぶだろう」という、野球人の風上にも置けないような発言をMLBのトップが誇らしげにする時代。「面白い方がいい」「儲かる方がいい」を基準にすれば、これまでのルール制定基準には次々に疑問符がつくだろう。
スポーツ界はこれにどう対応するのか。スポーツに関わるスポンサー、メディア、広告代理店ら、そしてこれに同調する政治家たちの思惑が一致すれば、スポーツはどんどん変質し、暴走する。彼らには、善悪とかスポーツの伝統的な倫理観や哲学は通用しないのだろうか。スポーツ界がビッグマネーの圧力を受けて、大きく変質する可能性(危惧)をますます感じさせられる。
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