「殺されたに違いない」「刑事とケンカもした」…国鉄総裁が轢死体となった「下山事件」 失踪現場で降ろした「専属運転手」21年目の告白【昭和の未解決事件】

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いまも“現役”の未解決事件

第1回【いまも検証が続く「下山事件」、大学同期の元警視総監が語った“ただならぬ挙動”とは】を読む

 昭和24年7月5日朝、当時の国鉄総裁・下山定則氏(49)は、日本橋三越本店前で車を降りた。「待っててくれ」と言われた運転手はその場に留まったが、下山氏は戻ってこない。そして深夜に流れたのは「下山総裁の轢死体発見」の報だった。

「自殺」か「他殺」か――戦後のGHQ統治下で発生した「下山事件」では、警視庁内部や法医学界、新聞が真っ二つにわかれての論争を繰り広げた。下山氏が死亡の数日前、国鉄職員十万人の解雇を発表していた事実から、他殺派はさらに「左翼テロ」と「米軍謀略」の2説に分かれた。

 しかし、ついに結論は出ず、いまも“現役”の未解決事件である。2024年3月にはNHKスペシャル「未解決事件」のテーマとなり、同年10月には新証言を発掘した『下山事件 封印された記憶』(中央公論新社)が刊行された。

「週刊新潮」も何度かこの事件を取り上げている。下山氏とは東大の同期で、事件当時は警視総監だった人物の貴重な証言を再録した第1回に続き、今回は下山氏を百貨店前に送った専属運転手・大西政雄さんの証言をお届けする。事件から21年後、昭和45年の証言でも、普段の下山氏をよく知っていた大西さんの記憶は鮮明だった。また事件の直後、大西さんには巷に姿を見せられなかった“事情”があったという――。

(以下、「週刊新潮」1970年8月22日号「下山事件・お抱え運転手の二十一年目の証言」を再編集しました。文中の年齢・肩書き等は掲載当時のものです)

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下山氏と別れた場所で「失踪」の報を聞く

 大西政雄さん、今年67歳。12歳年下の奥さんと2人で、都内の某所に小さなアパートを経営、好きなマージャン、旅行を楽しむ悠々自適の日々を送っている。万国博見物もすませたそうだ。

 事件後姿を見せなかったわけは、彼の説明によればこうだ。まず、容疑者として警視庁に調べられた。なにしろ、下山総裁を日本橋三越本店前で降ろした9時38分から、その日の午後5時の「下山総裁失踪」のニュース(注:下山氏が登庁しないので国鉄当局が行方不明と騒ぎ出した)をラジオで聞くまで、彼はその降ろした地点に車を停めていたから、疑われるのもムリはなかった。「しかし、総裁は“ちょっと待て”といって車を降り、長く待たせることがよくあった」と大西さんはいう。

 アリバイはあったが、「米軍の命令で保護する」といわれ、大西さんはそのまま半月間というもの運輸相の官邸に“軟禁”され、「昼は20人、夜は10人の警官」にかこまれ、「同じことを何度も入れ替り立ち替り聞かれた」。「おまえがカギを握ってるんだろう。いつまでも黙っておれると思うのか」とテーブルをたたいて怒鳴られたこともあったという。

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