「殺されたに違いない」「刑事とケンカもした」…国鉄総裁が轢死体となった「下山事件」 失踪現場で降ろした「専属運転手」21年目の告白【昭和の未解決事件】
新聞記者ギライになった理由
やっとのことで釈放された大西さんは、次はマスコミの攻撃を避けて友人の家に半月以上潜伏。奥さんの話だと、大西さんの自宅には常時新聞記者が詰めかけ、「夜も寝られない」状態だった。
「大西には女がいて、その女との間にできた子供を処理するのに金が必要だったんだ」などというウワサも当時立てられた。「あの事件はそりゃこたえて、シラガがばあっとふえたのもあのときですよ」と大西さんはいう。
その後「国鉄のお抱え運転手はもうごめんだ」とも思ったが、ある局長に頼まれて仕事を続けているうちに、その人とともに東急に移った。そのときの国鉄の退職金で建てたのが、現在のアパートである。ところが、このときも新聞記者から「事件に関係して得た金で建てたんじゃないか」といわれ、いよいよ新聞記者ギライになった。
そして、その後、心臓を悪くして隠居生活。べつだん一部の風説にいうように「彼もまた身に危険を感じて姿をくらました」というのではないらしい。
近辺には情報を集める場所もあった
もっとも、現在、彼の家には「大西政雄」の表札はない。彼は名前を変えて住んでいる。が、それも、ただ「姓名判断に凝ったから」だという。
「“あなたは前に死ぬかも知れないようなことがあったでしょう”といわれ、びっくりして別の名前を付けてもらったんです」と大西さん。
ともあれ、事件以来、マスコミに登場することはなくても、大西さんは「下山事件」の記憶とともに暮してきた、とはいえるだろう。
で、その大西さんにも、ひとつ「自殺」か「他殺」かの論争に加わっていただこう。下山総裁の日常を知ることにかけては、ある意味で奥さんの次の人ともいえる人物の証言である。20年以上たった今も、大西さんの記憶はまだナマナマしい。
「あの朝、下山先生は“三越に買物に行く”といいましたよ。しかし、私はそのとき、全然そうだとは思ってなかった。というのは、事件の前にも、日本橋あたりで先生が降りたことが何度かあるんです。ある人に会っているんじゃないか、と思われるところがあった。このことは警視庁にも話しましたけどね、あの近辺には、先生が情報を集める場所もあったんです」
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