当時の読売新聞社主の「ペートルに武道館は使わせない」発言から7時間のフライトをアテンドしたCAまで――週刊新潮が報じた60年前のビートルズ来日騒動記
ビートルズをアテンドした、JALのCA
そんな騒ぎがおきているころ、日本航空国際線ホステス(当時の名称。現在のCA=客室乗務員)、川﨑聡子さん(25歳)は、コペンハーゲンからアメリカ・アラスカ州のアンカレッジへ移動していた。
当時の週刊新潮には《週間日記》というコーナーがあった。各界のひとが、先週1週間の出来事を日記形式で公開する欄だ。現在の長期人気連載《私の週間食卓日記》の原型である。1966年7月16日号(7月9日発売)の同欄に登場したのが、この川﨑聡子さんだ。タイトルは《ビートルズと飛んだ7時間》(以下、抄録)。
〈【日曜日】私たちの便にビートルズが乗ってくるというスケジュールを知ったのが、ちょうど1か月前。当時、ビートルズのレコードをほとんど買い込んでいたファンの私と違って、同僚の2人はまるで関心がなかった。〉
水曜日、川崎さんはDC8型機で、アラスカ・アンカレッジ空港に着く。この当時は東西冷戦の真っ最中で、旧ソ連のシベリア上空は、安全保障上、通過できなかった。また、当時の航空機は燃費が悪く、ヨーロッパ主要都市から無給油で日本へ直行できる便はない。そこでシベリア上空を避ける北極圏まわりの航路は、必ずアンカレッジを経由し、給油していたのである。よって当時のアンカレッジ空港と周辺は、深夜営業の飲食店などでにぎわっていた。西ドイツ公演を終えたビートルズは、ここから日本航空412便に乗って、東京へ向かうという。このとき東京を台風が通過しており、出発便は10時間遅れとなった。
〈【木曜日】東京を台風通過の情報とともに午前1時、アンカレッジ発が決まる。離陸直前に、パトカーの先導で空港バスがタラップに横付けした。/あっという間に、ジョン、ジョージ、リンゴ、ポールの4人と関係者7人、計11人が機上の人となった。/機内前部のファーストクラスの席に、ジョージとポールが前に、その後ろの席にリンゴとジョンが並ぶ。〉
そのとき、ファーストクラスには、ほかに8人の一般乗客がいたが、
〈周囲の座席にいる乗客が、まことに平静で無関心なのは予想外だ。(略)それにしてもビートルズ4人はひどく疲れている。これから東京までの7時間、とにかくそっとしてあげたいと思う。〉
豆粒のようだった、たった35分の来日公演
やがて4人は仮眠を終えると元気を取り戻し、ウイスキー・コークなどを注文する。
〈4人はラウンジに出てカードを始めた。周囲の乗客に気がねしてか、ごく静かなゲームぶりだった。ラウンジでも、ウイスキーのお代わりの注文をさかんに受ける。特にポールのアルコールの強いこと。それにしても、彼らの英語は聞きとりにくい。アメリカ英語に慣れた私の耳は、英国リバプールなまりのある発音には、ちょっと弱い。〉
412便は、午前3時39分、無事に羽田空港に着く。勤務を終えた川崎さんは、午前7時、目黒の下宿に帰宅し、夕方まで寝た。ところが翌朝には、新聞や雑誌から取材の電話が殺到。なんとか対応していると、友人から、ビートルズ公演のチケットをプレゼントするとの連絡が。
〈【土曜日】午後2時、ビートルズ公演会場の武道館へ。席は前のほうだったが、豆粒ほどにしか4人が目に映らない。それもワーワー、キャーキャーの黄色い喚声で、ちっとも聞きとれない。7時間、身近に過ごした一昨日に比べて、なんと疎遠に感ずることか。〉
公演終了後、表に出るが、車の行列と渋滞でタクシーも拾えない。川崎さんは、この日記を、以下の一文で結んでいる。
〈ここ数日、ビートルズ旋風にうかされていた夢から、やっと交通地獄の激化した東京の現実に引き戻された。〉
ちなみに公演内容は、各回、前座が50分。ビートルズは12曲、たった35分の出演であった。
(参考資料:大村亨『「ビートルズと日本」新聞が見た来日協奏曲』シンコーミュージック・エンタテイメント刊)
※記事本文の引用は、明らかな誤記のほか、主旨を変えない範囲で一部表記を修正しています。
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