当時の読売新聞社主の「ペートルに武道館は使わせない」発言から7時間のフライトをアテンドしたCAまで――週刊新潮が報じた60年前のビートルズ来日騒動記

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「武道館はいかん。後楽園でやれ」

 その週刊新潮の記事は、《もみにもんだビートルズ会場 日本武道館使用の理屈と対面》(1966年6月25日号)と題されていた。正力松太郎会長の“大演説”が載っている。

「僕の知らないうちに、読売で(ビートルズ公演を)武道館でやると決めてきた。だから僕は、いったよ。武道館はいかん。後楽園でやれといったんだ。なんとなれば、武道館は僕が作ったもんだよ。あれは武道の殿堂だよ」

 正力氏は、週刊新潮の取材に対し、まことに堂々と応じている。ちなみに、この当時の大御所たちは、ほとんどが「ビートルズ」といえず、「ピートル」とか「ペートル」といっており、グループ名なのか個人名なのかも理解していないようなので、ご了承を。

「ピートルなんかは、とかくのウワサもあるんじゃないか。前に読売でね、ピートルが結婚したと書いたら、間違いだと女が十人くらい泣いて押しかけてきたというんだ。そういう相手だ。日本の女もしょうがないねえ。とにかく、読売新聞の社主は誰だい? 僕だよ。武道館の会長も僕だよ。それで、武道館のためによくないことが、できるかい。それに、僕は読売の社主だけど、あれ(ビートルズ公演)は僕の承知して決めたことじゃない。だから、他の場所をさがせ、といったんだよ」

 かくして正力社主の命令で、読売社内では、武道館使用は撤回の方向で再検討に入った。記事には、読売新聞社のM企画部長のコメントもある。

「ビートルズファンが不安になっちゃうんですよね。なにしろ、ここの読売事業部の電話が朝から晩まで鳴りっぱなしで、仕事にならん状態だった」

 さらに正力氏あての抗議の手紙も殺到した。それでも正力氏は、武道館を使わせたくなかった。気の毒なのは、招聘実務を担当した協同企画(現・キョードー東京)で、“日本初のプロモーター”として知られる永島達司社長自ら、会場についての再検討の相談のため渡英するありさまだった。

 ところが、そんなすったもんだがつづいているうち、正力氏は、

「それでロンドンへ交渉に行かしたんだが、アメリカではカーネギー・ホールでもやってるというし、露天じゃ無理で、そうすると、ピートルは広い場所ないし、来ないっていうんだ。そこで、僕もしようがないからね。聞けば、英国の勲章もらっとるというし、武道館の本義がそこなわれなければいい」

 と、意外とあっさり折れてしまうのだ。

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