父には隠し子がいた…我慢ばかりの母を自由にしたかった。5歳下の妻に“母の面影”を重ねた53歳夫の静かな情熱
東京にはなじめなかったけれど
それは彼自身の人生にも言えることだった。東京で学生時代を過ごしたが、心から楽しいと思えたことは記憶に残っていない。常に「根無し草的なアウェイ感」を覚えていた。東京の生活は賑やかな半面、どこかなじめない。だからといって故郷に帰りたくはない。「ここではないどこか」「心から落ち着ける場所」を常に求め続けていたように思うとつぶやいた。
「それでも仕事をしなければ食べていけないので、東京で就職しました。バブルは弾けていたけど、採用が極端に減る前だったので、ギリギリ滑り込んだ感じですね」
そこそこ有名な企業に入社、その後、吸収合併の憂き目にあうも、それもなんとか切り抜けて居残ることができた。運だけで残れたと彼は笑う。
「今思えば、あのころはどういう人生を送りたいかなんて考えたこともなかった。就職できたのだから、このまま定年退職まで会社にいるのが当然だと思っていたし、ごく普通に生きていくんだろうと漠然と思っていたような気がします」
ただ、仕事は楽しかった。がんばれば、それに見合った達成感や満足感というリターンがあった。会社にいてもいいという安心感もあった。仕事を介しての人間関係で、さまざまなことも学んだという。
「それまで何かに必死になるとか全力を注ぐということがなかったんですよ。5年目くらいだったかな、おまえに任せると言われた仕事で、ライバル会社と争った件があった。何日も徹夜するくらい必死になって、コンペの結果を待ちました。結局、大手の会社にその仕事を奪われたんですが、トイレで泣きました。その後、3日くらいやさぐれて飲んだくれて。上司がめいっぱいつきあってくれました」
会社に貢献しようというきれいごとではなかった。自分が生き残るために、あるいは存在意義というプライドを賭けた仕事だった。それでも上司が黙ってそばにいて一緒に「飲んだくれて」くれたので、彼はすぐに立ち直ってまた仕事に邁進した。少し強くなった自分を感じてうれしかったという。
「母の面影を見た」女性
30歳前後になると同期や学生時代の友人たちも、いっせいに結婚していったが、彼はあまりその気になれなかった。独身を貫くつもりもないが結婚するつもりもない。いつかは、といいながら、いつそのときが来るかはまったく読めなかった。
ところが35歳のころ、5歳下の後輩である怜菜さんに恋をした。色の白い、線の細いタイプの女性だった。仕事ができる一方で、控えめで、常に何かを我慢しているように見えるのが気になってたまらなかった。彼はそこに、若いころの母の面影を見たのだろうか。自分が幸せにしたいとふと思った。人を幸せにするなんて傲慢なことなのに、なぜかそう感じたのだという。
「アプローチしてデートを重ねて結婚を申し込んでOKをもらって。たった1年で、流れるように決まりました。それも今思えば、どういう家庭を作ろうなどときちんとしたビジョンがあったわけじゃない。なんとなくこの人と一緒にいたい、幸せにしたい。そう思って、静かな情熱だけで突っ走ったような気がします」
静かな情熱、というのが彼らしい。自分は決して「情熱的なタイプには見えない」だろうと彼は言う。確かに物静かで論理的に見えるし、実際、話していても情熱で突っ走るようには感じられない。だが「実はいつでもここではないどこか」を求めてきた人だ。きっかけさえあれば、ときには暴走する可能性も大いにあるのだろう。
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