アメリカ人を当惑させた「日本人の変わり身のはやさ」はどこから来るのか――「無責任の体系」の衝撃
昨日まで「鬼畜米英」を叫んでいた人間が、終戦を境にニコニコと占領軍を迎え入れる。その変化を的確に捉えた丸山眞男の理論は、広く「日本人論」の標準形として捉えられた。
京都大学名誉教授の佐伯啓思氏は新刊『日本人の精神I 権威と空気の構造』(新潮選書)で、丸山が指摘した組織の無責任、上に従い下に押しつける構造などは、今なお現代の会社や日本政治を見る定型になっていると語る。以下、同書から一部を再編集して紹介する。
***
速報「反高市」の狼煙? 小渕優子氏の辞任劇で「党内抗争になる可能性も」 「とても勇気のある行動」と称賛の声も
速報【安倍元首相暗殺事件から4年】「山上は犯人ではない!」 陰謀論者の嫌がらせで… 元奈良県警本部長が再就職先を辞めた背景
負の遺産としての日本
戦後「日本的なもの」やナショナリズムは、一見したところ表立って論議の対象となることは少ない。しかし、実はそれは、思わぬ形でわれわれの意識の上に姿を現した。それも戦前よりはるかに複雑で深刻な様相を呈して、である。おまけにこの場合の「日本的なもの」は、戦前とは真逆で、やっかいな負の遺産として日本人の前に立ち現れてきたのである。
問題はふたつあった。ひとつは、いったい何が日本をあの無謀な戦争へと駆り立てたのか、という問いである。確かに、19世紀来の帝国主義末期の世界状況に関する検証は必要であろう。日本の軍部の台頭とそれを阻止しえなかった日本の政党政治の未熟さも検証されるべきだろう。鬼畜米英を声高に叫び、一気にポピュリズムへと傾斜したメディアも問題であろう。日本をあの戦争へと駆り立てた歴史的要因はいくつもある。
しかしどうもそれだけではない。当時の呼称でいう大東亜戦争へと突き進んだ背後には、単に世界状況や軍部の暴走などでは説明しえない、何か独特の「日本的なもの」があったのではないか。こういう印象を払拭できないのである。
精神的豹変
当時の指導層の状況把握の失敗や軍部の暴走があったことは間違いないとしても、それとは別次元の、より根本的な「日本的な問題」が顔を覗かせているのではなかろうか。政府も軍も問題だが、より根本的にいえば「日本そのもの」が問われるべきなのではないか。これは深刻な問いである。
そして第二に、あれほど鬼畜米英、天皇陛下万歳と声を張り上げて叫んでいた日本人が、1945年の8月15日を境にまるっきり態度を変えてしまったのはいったいなぜか。こういう疑問がでてくる。これは制度というよりも精神の問題である。そしてここにもまた何か「日本的なもの」が強く作用しているのではないだろうか。これもまたやっかいな問題に違いない。
終戦を境にしたこの日本人の精神的豹変はいったい何なのか。8月15日の戦争終結後(正確には戦闘終結後)、戦々恐々と日本へやってきた占領軍は、実に穏やかでいわば丁重な歓迎を受けることになるのである。
この変わり身のはやさは、ルース・ベネディクトの『菊と刀』でも触れられており、アメリカ人からすれば、奇妙奇天烈としかいいようがなかったであろう。占領軍にとっては、まさに「日本人の謎」というか「謎の日本人」というか、容易には理解しがたい現象であった。
丸山理論の登場
この問いかけは、戦後日本の立ち上げに際しては、是非とも処理しておくべき問題であった。あまりにも無残な敗北によってボロボロに傷ついた日本人の精神の再建と戦後の出発のためにも、この時点での一応の答えがなければ「次」へは進めないのである。
そして、この課題に対していち早く模範的解答を与えたのは、「超国家主義の論理と心理」(1946年)に始まる一連の論文を発表した丸山眞男であった。彼に続くいわゆる戦後進歩派知識人の日本論が果たした役割はきわめて大きい。
丸山は、あの戦争を日本の侵略戦争と断じた上で、その原因を、地域の共同体を構成する親分・子分関係やその情緒的なつながり、社会のあらゆる局面に現れる上下関係や権威主義、その結果として誰も責任をとらない無責任体制、その頂点に天皇を戴いて日本を巨大な家父長的家族とみなす天皇制国家体制にあるとした。
標準モデルになった日本像
これらを総称して「天皇制国家」という「日本ファシズムの特異性」と規定した丸山理論は、戦後の「日本像」の標準モデルを提示したわけである。丸山理論の面白さは、天皇制国家がもつ上意下達の権威主義構造が、ただ日本社会の封建的特徴というだけではなく、いわば日本人の精神文化と深くかかわっている、とみた点にある。
「抑圧の移譲」や「無責任の体系」という丸山のきわめてポピュラーな用語には今日でもしばしば出会う。それは、「上には従順で下には強圧的」という一種の奴隷根性や、「自己の行動に責任を取らない」という無責任な性格が、今日に至るまで、まさに「日本人の精神文化」そのものの表出だと思われるのだ。
こうした分析を提供した丸山理論が戦後一年もたつかたたないかのうちに雑誌『世界』に発表されたのである。結果として、早押しクイズではないが、GHQの監視下で言論が再開されるやいなや、いち早くボタンを押した丸山の回答が、その後のひとつの「日本論」をリードしたことは間違いない。
関連記事〈日本人はなぜ「日本人論」が好きなのか?――思想界の泰斗が語る「自家中毒」の理由〉では、なぜ日本人だけがこれほど「日本人とは何か」を問い続けるのか、その理由が語られている。
※本記事は、佐伯啓思著『日本人の精神I 権威と空気の構造』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。










