「昭和天皇の喪中なのに」「兄を差し置いて自分だけ……」 【ご成婚36年】なぜ「秋篠宮殿下」のご婚約発表は批判を浴びたのか それでも「紀子さま」との結婚を押し通された理由とは

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 1990年の6月29日は、秋篠宮殿下と紀子妃殿下のご成婚の日。ご夫妻は今年で結婚36年を迎えられたことになる。殿下は皇位継承順位第1位、そしてお2人の長男・悠仁さまは継承順位第2位の身。折しも、国会で皇室典範改正の議論が大詰めとなっているが、今後、秋篠宮家の存在がますます重要性を増していくのは疑いない。

 36年前、紀子さまはアパートの3LDKの一室、テレビのない家庭に育った「庶民出身のプリンセス」として世間の喝采をもって迎えられた。が、一方で、皇室や宮内庁の内部からは、このご成婚に批判めいた指摘が上がっていたのも事実である。それはご婚約の時期が、ちょうど昭和天皇の喪中に重なり、また、兄・皇太子殿下(現・天皇陛下)の先を越してご家庭を持たれることになったからだ。しかし、そうした批判を受けながらも、秋篠宮殿下はご結婚を押し切られた。そこにはいかなる事情があったのか。当時の「週刊新潮」の記事を再録し、その理由を探ってみよう。

(「週刊新潮」1989年9月7日号記事を一部編集の上、再録しました。当時の記事のため、記事中の敬称は平成のものです。すなわち、文中の「皇太子」「浩宮」は現・天皇陛下、「礼宮」は現・秋篠宮殿下、「紀子さん」は、紀子妃殿下のことを指します)

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初めてのデートは…

 礼宮殿下と紀子さんの交際が始まったのは4年前(1985年)のことだった。

 紀子さんは学習院大学で礼宮殿下の一年後輩、殿下が主宰するサークル「自然文化研究会」に所属したことが、お互いが知り合うキッカケになったのだという。

 最初のデートはその年の暮れ。礼宮殿下はご両親などとご一緒に葉山の御用邸に滞在されていた。その折に、礼宮殿下は紀子さんの泊まっているホテルに車で迎えに行き、三浦海岸を散歩した。その後、紀子さんは一人で御所を訪れるようになり、また友人なども交えて御所のコートでテニスを楽しみ、冬にはスキー。礼宮殿下の部屋で二人きりで音楽を聞いたりすることもあった。

 昨年(1988年)2月、目白の学習院近くのスナックで、礼宮殿下、紀子さん、紀子さんの父親の辰彦さん、母親の和代さんの4人が楽しげに語り合っていたこともあったという。

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