「市川雷蔵にほれてた玉緒を、熱意で奪った」 勝新太郎が語っていた中村玉緒さんへの愛と交際秘話
“なべ、作詞しろ”と、無茶ぶり
大映は、時代劇なら太秦、現代劇なら東京・多摩川と、2拠点の撮影所を使い分けていた。
「勝さんは毎年6月ごろになると上京して、ひと月ほどの滞在で現代劇を撮影する。このときには、京都でのもてなしの“恩返し”として、ひばりさんや裕次郎さんたちが勝さんをもてなすわけですよ。みなさん、18時には仕事が終わるようにスケジュール調整してね」(なべおさみ)
1軒目は赤坂の料亭、それから新橋のバーで2次会。ひばり、水原、裕次郎、そして勝の四人による飲み会は恒例となっていた。
「勝さんが初めて玉緒さんとの結婚を表明したのもその飲み会。“俺、いよいよ結婚するぜ”と言うと、みなさん“おめでとう”と拍手喝采でしたよ」(同)
勝はこの場で、結婚式は帝国ホテルで開くプランを明かした。
「裕次郎さんが勝さんに“玉緒さんのために歌を歌え”と無茶ぶりをしてね。勝さんが戸惑っていると水原さんが“勝っちゃん、大丈夫。俺のバンドを入れてやる”。その場で曲はエディット・ピアフの『愛の讃歌』に決まりました」(同)
それでも勝は渋っていた。
「翌日、すぐに越路吹雪さんがカバーしたレコードを買ってきて、それから毎日、勝さんに聴かせて練習させました。ただ、しばらくすると、ひばりさんたちが“歌詞がそのままではつまらないから『玉緒に贈る愛の讃歌』にしよう。なべ、作詞しろ”と、またまた無茶ぶり。慌てて歌詞を書き上げましたよ」(同)
“この人、財布の閉め方を知らないんだ”
そして62年3月7日、いよいよ結婚式の日を迎える。両家の親族をはじめ、大映の永田雅一社長、俳優の長谷川一夫や田宮二郎、歌手・橋幸夫、作詞家の川内康範など、多士済々の顔触れが駆け付けた。式のハイライトともいうべき『玉緒に贈る愛の讃歌』を歌うにあたり、勝は紋付き袴からタキシードに着替えて臨んだ。
なべが続ける。
「勝さんは当日までに歌詞を覚えられなかったんです。だから“カンペを出せ”と。さすがに結婚式でカンペはまずいと思いましたが、私はピアノの下に潜り込んで、勝さんにだけ見えるようにこっそりカンペを出していたんです。見事、誰にもバレずに歌い切りました」
このとき、勝は30歳、中村さんは22歳。かくして夫婦となった二人だが、お嬢様育ちの中村さんは、たちまち勝の生き方にカルチャーショックを受ける。
先の三夏によれば、
「玉緒さんが結婚して最初に驚いたのは“財布のひもの緩さ”だと仰っていました。“この人、財布の閉め方を知らないんだ”と。それくらい勝さんの金遣いは荒かった」
夫婦の生活拠点があった京都・嵐山の「うなぎ屋 廣川」店主が明かす。
「京都で『座頭市』シリーズの撮影をしているとき、勝さんは週に1度、10人ほどを連れて店にいらっしゃいました。郷ひろみさんのような共演者からスタッフまで、いろんな方がご一緒でしたよ」
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