「市川雷蔵にほれてた玉緒を、熱意で奪った」 勝新太郎が語っていた中村玉緒さんへの愛と交際秘話

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【全2回(前編/後編)の前編】

 バラエティー番組では天然キャラで笑わせるだけでなく、自身も“グハハハ”と豪快な笑いを振りまき、お茶の間で親しまれた中村玉緒さん。6月9日、肺炎により86歳で他界した彼女は、生涯“勝新太郎の妻”であり続けた。ゆかりの人々が型破りな夫婦生活を振り返る。

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 父は二代目中村鴈治郎、兄は後の四代目坂田藤十郎。京都で歌舞伎の名門一家に生まれた中村玉緒さんが、映画会社「大映」に入社したのは1954年、中学生時代のことである。

 その前年に大映入りしていた女優の山本富士子(94)が振り返る。

「私がお父様の鴈治郎さんとご一緒したとき、“玉緒は男の子であったら、と思うほど芯が強い”と、お話しされたことがありました。後年、テレビで、映画時代とはガラッと違う玉緒さんを見て驚きました。同時に、大変な人生経験や苦労の末、こうして活躍していらっしゃる姿に、お父様が仰っていた“芯の強さ”を思い出し、そのたくましさに拍手を送っていました」

 そして、こう続ける。

「玉緒さんを追悼する番組で、“また生まれ変わっても勝さんと一緒になりたい”と話しておられるのを拝見して、胸が熱くなりました」

“本当は市川雷蔵にほれてたんだ。それを俺が熱意で奪ったんだ”

 浴びるほど酒を飲み、数え切れぬスキャンダルを巻き起こし、途方もない借金を残して人生を駆け抜けた名優・勝新太郎。97年に65歳で亡くなった勝と中村さんは、文字通り、型破りの夫婦だった。

「二人は、勝さんが悪漢を演じた『不知火検校』(60年)という、座頭市のベースになった時代劇映画で共演しているんです」

 そう語るのは、元大映ニューフェイスの俳優・三夏紳(85)である。

「勝さんはこの映画の玉緒さんの芝居を見て“いい芝居をするな”と感じたそうで、“俺はあのときほれた”と言っていました。玉緒さんが撮影していると、勝さんが撮影所にやってきて、撮影を早く切り上げさせてしまう。そして玉緒さんをどこかに連れて行くという逸話もありました」(同)

 この勝流アプローチ、実はかなり意識的で、

「後に、勝さんと飲んでいると、酔うたんびに玉緒さんの話になりました。私が“いい奥さんをもらいましたね”と言うと“だろ?”とね。続けて“でもな、玉緒は本当は俺じゃないんだ”と言う。“本当は市川雷蔵にほれてたんだ。それを俺が熱意で奪ったんだ”と自慢していました」(同)

“雷さま”の愛称で熱狂的な人気を集めていた市川雷蔵は、勝がライバル視した大映のスター。中村さんとは、兄を通じた幼なじみだった。

 中村さんと勝が恋仲になっていた頃、勝の付き人だったタレントのなべおさみ(87)が述懐する。

「当時、勝さんは京都・太秦にある大映の撮影所の近くに居を構えていました。美空ひばりさん、水原弘さん、石原裕次郎さんといった、東京の名だたるスターたちが撮影で京都に滞在する際には、必ず勝さんが面倒を見ていました」

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