【旭川殺人事件に懲役27年】 「1人殺しただけでは無期懲役にはできない」という慣例に検察は立ち向かえるのか

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まだ寒い旭川で衣服を

「まだ寒い旭川で衣服をはぎ取るだけでも生命は危険にさらされる状態なのに、橋の欄干に座らせて“死ね”“落ちろ”などという言葉を吐いているわけで、そういったことの残虐性も踏まえれば無期求刑もあり得たと見ていますけれどね。共犯の小西受刑者に下された判決とのバランスを考えての求刑だったのかもしれませんが、釈然としないものを感じている人は少なくないのではないでしょうか」(同)

 有期刑にする理屈はこうだ。共犯者が23年の有期刑ならば内田被告もまた有期刑であるというのが論理的ではないか、そもそも1人殺害で無期懲役というのはかなりイレギュラーだ、と。

 しかし無期ではないが死刑に関して検察がその判断基準を明確にするために「連続上告」を行った例が過去にある。死刑の適用は1983年の最高裁判決で示された「永山基準」(被害者数、残虐性、動機など9項目を総合考慮する基準)に基づいている。が、1990年代に入ると、「被害者が1人の場合は原則として死刑を回避し、無期懲役とする」といった傾向が進むようになった。要するに、「1人ならば死刑にはならない」という「相場観」が固定化してきていたのだ。

「連続上告」の歴史

 この傾向に危機感を抱いた検察当局は「機械的に被害者の数だけで線引きをすべきではない」「国民感情から乖離しすぎている」との考えをベースに裁判所に対して改めて厳格な基準の提示を迫るべく、高裁で無期懲役とされた重大事件について続けて上告を行っていった。これがいわゆる「連続上告」である。

 上告の結果、被害者が1人であっても量刑不当とみなされたケースについても、高裁の無期懲役が破棄され、死刑判決が下される例もあった。「福山市独居老婦人殺害事件」がそれだった。当時の検事総長は後に「国民が納得していない」旨のメッセージを伝える思いがあったと明かしている。

「当時とは時代も違いますし、死刑と無期とでも違いますが、検察が主体性をもって動いたという意味では画期的だった。無期を求刑してもそれが裁判で認められなければ“負けた”と検察内では捉えられがちですが、そういったことは気にせず、なおかつ世論に媚びないまでもうまくくみ取ってもらいたいと思いますね」(同)

 1人を殺害したことの代償が有期刑でいいのか、それともより重い刑罰を課すべきなのか、ケースバイケースなのは言うまでもないのだが、司法が突きつけられ続ける問いは重い。

デイリー新潮編集部

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