新聞テレビが報じなかった「3億円事件」の人間ドラマ…「週刊新潮」があえて“被害者の肉声”を伝えた理由 「取引先から“東芝のボーナス、持って行かれたぞ”と言われましてね…」

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 2010年4月、日本の刑事訴訟法が改正され、いわゆる「時効」が廃止された。これにより、警察による捜査の「時間制限」がなくなり、“未解決事件”はなくなることになった。

 だが、それ以前には、すでに時効を迎え、すべてが闇の彼方へ消え去った事件も多い。戦後の混乱から高度経済成長を経て、バブルへと突入する昭和の時代は特に多く、よく“昭和3大未解決事件”などと話題になる。そうした事件を週刊誌は、どのような記事にしてきたのだろうか。

 今回から数回にわたり、昭和の未解決事件、その“第一報”を、週刊新潮がどう報じてきたのかを検証する。新聞やテレビとはまったくちがった、週刊誌ならではの視点とはどういうものか。まずは、昭和未解決事件の“代名詞”といえる〈3億円事件〉である。

1日半で記事にしなければならず……

 1968(昭和43)年12月10日午前9時過ぎ、日本信託銀行国分寺支店から現金輸送車が出発した。この日、東芝府中工場でボーナスとして支給される予定の現金、約「3億円」が積まれていた。この当時、まだATMも銀行カードもない。給料やボーナスは、すべて袋詰めされた現金支給である。カネの出し入れは、通帳と印鑑をもって銀行に出向き、いちいち窓口に並んでおこなっていた、そんな時代である。

 輸送車が、府中刑務所の裏通りにさしかかると、白バイ警官に呼び止められた。警官は、「小金井警察署ですが、おたくの銀行の巣鴨支店長宅が爆破されました。この車にも爆弾が仕掛けられているとの連絡があったので、調べます」と、車の下に潜り込んだ。運転手や行員たちは、たしかに以前より脅迫状が来ていたと聞いていたので、震えて車から降りた。すると、突然、車の下から白煙と炎があがった。「あったぞ! 爆弾だ!」。びっくりして下がると、警官は輸送車に乗り込んで運転し、そのまま走り去ってしまった。

 その間、たった3分間。乗り捨てられた白バイはニセモノで、白煙は、単なる発煙筒だった。警視庁は都内西部を中心に、一斉検問を開始、空前の大捜査が展開した。乗り捨てられた白バイや輸送車など、遺留品は大量に残されている。これなら犯人逮捕は、時間の問題と思われた。

 結局、犯人逮捕どころか、決定的情報をつかめず、1975(昭和50)年12月10日に公訴時効が成立。〈3億円事件〉は、いわゆる“未解決事件”となった。時効直前、警視庁は心霊研究家・中岡俊哉を通じ、オランダの超能力者に犯人の居所の“透視”を依頼していたことも、後年に判明。最後は“神頼み”だったのである。

 事件が発生した1968年12月10日は、火曜日だった。当時の週刊新潮は、毎週土曜日発売である。つまり、この週の発売日は14日(土)――ということは、最終校了は、12日(木)夕方となる。どんなに遅くとも、11日(水)夜から原稿を書きはじめ、12日の早朝までには印刷所に入稿していなければならない。せいぜい取材時間は、1日半程度しかない。

 これほどの大事件を、たった1日半で記事にしなければならないとは……しかも、前代未聞の大捜査が展開されている。発売したころには、犯人が逮捕されている可能性が高い(もちろん、そうはならなかったのだが)。

 いったい、取材日数1日半で、週刊新潮は、どのような〈3億円事件〉“第一報”記事を書き上げたのだろうか。

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