新聞テレビが報じなかった「3億円事件」の人間ドラマ…「週刊新潮」があえて“被害者の肉声”を伝えた理由 「取引先から“東芝のボーナス、持って行かれたぞ”と言われましてね…」

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まず飛び込んだ取材先は……

 その“第一報”とは――。1968年12月14日(土)発売の週刊新潮(12月21日号)の外折(いちばん最後に校了する頁)に、《三億円強奪事件が起した混乱の波紋》と題して掲載されている。珍しく、たった3頁だ。当時の特集記事は、最低でも4頁が通常で、内容によっては6頁や7頁も茶飯事だった。おそらく、あまりの時間のなさに、3頁を埋めるので精いっぱいだったと思われる。

 では、その3頁に、何が書いてあったのか。当時、全マスコミは、犯人の足取りや、犯人像を追う取材に全力を費やしていた。どこの何者か、どこへ消えたのか、大量の札束をどうやって運んだのか、警察はどんな捜査体制なのか……。

 だが、週刊新潮は、そんなことには、目もくれなかった。何しろ、1日半しか時間がないのだ。週刊新潮の興味は、ただ一点――「この日、ボーナスをもらえなかった東芝府中工場の従業員はどうなったのか」だった。記事の中心部分は、こうはじまっている。

〈3億円のボーナスは、個人別に明細表とともに袋に詰められて、10日9時半には東芝府中工場に届くことになっていた。〉

 同工場は、通常の町工場とは、規模がちがう。

〈配電盤、電車部品、車両などを製造している同工場の従業員は5500名。うち4500名分のボーナスが日本信託銀行扱いである。平均手取り約7万円。〉

 当時の7万円を、消費者物価指数で換算すると、現在、ほぼ30万円くらいになるようだ。少なくとも、この日、4500名の従業員が、このボーナスをもらえなかったのである。取材班はまず、同工場の総務課へ取材に飛び込んだ。

〈「いや、驚きましたよ。ボーナスが届かないとなって、何より心配したのは、職場の事故です。重電機関の工場ですし、高圧電流も入っている。へたに事件を知らせて従業員が動揺するといけない、と思ったわけです。今日は飲みに行こうとか、家族と買い物に行こうか、とう人たちに、ボーナスが出ないといえば、どうしても心理的に影響が出てケガ人が出ないとも限りませんからね」(総務課)〉

 総務課の気の使いようは、たいへんなものだった。

〈「家を建てるための期限付きの金や、飲み代のツケの支払いを迫られている人」のための緊急支払いの方針を決めた。〉

 次に、この事態を、従業員にどう知らせるか。

〈「昼休みのはじまる12時10分に放送しました。もちろん“3億円を盗られたから”なんてショッキングな表現ではなく、“不都合が起こり、事務上の問題から今日中には払えない。決して支払わないわけではない、明日は必ず支払う”。そんな形で社内放送したんです。勤労意欲を損なうようではいけませんのでね」(総務課)〉

 だが、すでに周囲は、パトカーがサイレンを鳴らして走り回り、上空には報道のヘリが飛び交っている。噂は、昼休みの放送以前に従業員に広まっていた。

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