天皇皇后両陛下「オランダ・ベルギー歴訪」に秘められた“2つの重要な意義” 重要性が増す“皇室外交”のいま
ベネルクス3国との関係
オランダ王室が雅子さまに“助け舟”を出した背景には、江戸幕府の鎖国政策中も出島を通じて交易のあったオランダとの、長年の友好関係が前提にあった。だが、ドイツ人の夫を持つベアトリクス女王は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツの侵略を受けたオランダの国民から、結婚時に激しいバッシングを受けた経験の持ち主。雅子さまのオランダ静養の実現には、女王の“共感”が不可欠だった。王室の離宮で幼い愛子さまの手を引く雅子さまが、女王と笑顔で収まった映像を記憶にとどめる国民は少なくないはずだ。
他方で外務省は、この歴訪をステップにして、次の展開を見据えているとの指摘がある。オランダの現地での国名「ネーデルラント」は元々、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの3か国を含めた「低い土地」を意味する言葉だ。オランダは1648年にスペインから独立。一方で一時期、フランスの占領下にあったベルギーは1815年にオランダに併合されている。その後、ベルギーは独立運動の末、1830年に独立を宣言。翌年、独立が承認されたという経緯がある。つまりベルギーとオランダの関係は政治、経済、文化の全てで緊密でありながらも、感情的には微妙な距離感があるのだ。宮内庁職員はこう話す。
「皇后陛下のご体調を踏まえれば、当庁(宮内庁)としてはご訪問が1か国のみという選択もありましたが、外務省さんにとっては、ベルギーだけという選択肢も、オランダだけという選択肢も、どちらもあり得ないという雰囲気でした。両国との関係強化には双方の顔を、立てる必要があったのだと思います」
オランダ王家はルクセンブルク大公家と遠縁。ベルギーもルクセンブルクとは極めて親密な関係にある。3か国によるベネルクス経済同盟の結成に先立って、まず1921年にベルギー・ルクセンブルク経済同盟が結成され、ルクセンブルク軍の兵士はベルギー軍で訓練を受ける関係にある。
「外務省が既に来年を見据えている皇室外交は、ずばり両陛下のルクセンブルクご訪問ではないでしょうか」(同OB)
自民党政権が続くことを前提として、中長期スパンで外交戦略を練っている外務省は、昨年、警察官僚出身の野村護氏をルクセンブルクの大使に当てている。野村氏は警察庁入庁後、暴力団対策などに尽力。一方で2015(平成27)年8月からは宮内庁総務課長、17(同29)年からはご在位中だった上皇陛下の侍従、生前退位後は上皇侍従を21(令和3)年1月まで務めた。また23(同5)年には宮内庁へ戻り、管理部長の要職にあった人物だ。
その野村氏が昨年、管理部長のポストを退き、高市政権発足直後の12月から特命全権大使として赴任したのがルクセンブルクなのだ。在ルクセンブルク日本国大使館のホームページでは昨年12月9日付で野村氏が「2027年には日本・ルクセンブルク外交関係樹立100周年という記念すべき節目を迎えます」と綴っている。さらに野村氏は「日本とルクセンブルクは、皇室と大公家の親密な交流の長い歴史を持ち、これを象徴として多方面での良好な関係が築かれてきました」とした上で「100周年に向けて、レーミッシュ市の遊歩道に桜を再植樹する」と明かしている。
EU創設メンバーであるベネルクス3国との連携強化は、外務省の描く来年までの2年間をかけた皇室外交の戦略だ。高市氏はこうした皇室の政治利用を、全面的に採用するのか。注目したい。
【前編は「なぜ“天皇陛下の訪韓”は実現しないのか…外務省に宮内庁、官邸の意向も絡む『皇室外交』の知られざる実態」】
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