“原爆の爪痕”に肉薄した『ヒロシマ』の衝撃…巨匠・土門拳“金字塔的写真集”の原点は創刊2年目の「週刊新潮」にあった

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まるで「夜叉」のような土門拳の表情

 余談だが、このABCCは、ある劇映画に登場している。1962(昭和37)年公開の大映映画「その夜は忘れない」(吉村公三郎監督)である。被爆17年目の広島の傷跡を取材に来た、週刊誌記者(田宮二郎)。外見上は見事に復興している広島を歩いて、もはや“傷跡”などどこにもないので、しらけている。

 取材でABCCを訪れるが、やはり“成果”はない。ところが、ここで、昨夜行ったバーのマダム(若尾文子)と出会う。すでに若尾に魅了されていた田宮は、なぜ若尾がABCCに来たのか、そこまで考えが及ばず、ますます彼女に魅入られてゆく。真夏の広島、灼熱の陽光のなか、日傘をさして比治山上のABCCを歩く若尾の美しい姿は、この映画の見どころである。まだカマボコ型の建物が残っており、いまとなっては貴重な映像である。ちなみにこのシーンで、若尾の親友役で登場する角梨枝子は広島出身、実際の被爆者だ。

 ところで――先述のように、この週刊新潮の取材は、土門拳にとってよほどの“衝撃”だったようだ。この日から1年間、単身、広島に通いつづけ、1958年3月、写真集『ヒロシマ』を上梓するのである。

 その写真は、一般週刊誌では掲載できなかった、あまりにストレートでリアルなカットが満載である。特に、広島原爆病院における治療や手術の模様を、接写せんばかりに写し取った写真は、凄まじい現実と恐怖を伝えてくる。

 その取材に新潮社写真部が同行し、土門拳の取材風景を記録していた。上記特別レポートの1年後、1958(昭和33)年8月11日号のグラビア〈現代の顔/ヒロシマの土門拳〉である。なにかに憑かれたかのようにカメラをのぞき込む土門拳の表情は、まさに「夜叉」である。

 その写真集『ヒロシマ』のなかで、土門拳は、こう述べている。

〈広島・長崎の被爆者は、ぼくたち一般国民の、いわば不運な「身がわり」だったのである。ぼくたち一般国民こそ、今、この不幸な犠牲者に対して温かい理解といたわりを報いることによって「連帯感」を実証すべき責任があるはずである。しかもこの本に収めた写真の撮影に当っては、広島の被爆者たちは「すべての国民が再び自分たちのようなみじめな姿になることがないように」と、自ら進んでカメラの前に立って、逆に一般国民に連帯する「悲願」を示してくれたのだった。何度、ぼくは目がしらが熱くなりながらシャッターを切ったことか。〉

 この思いの原点こそが、週刊新潮1957(昭和32)年8月12日号の、特別レポートだったのである。                             (敬称略)

※引用は、主旨を変えない範囲で、表記の一部を修正しています。

森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。

デイリー新潮編集部

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