“原爆の爪痕”に肉薄した『ヒロシマ』の衝撃…巨匠・土門拳“金字塔的写真集”の原点は創刊2年目の「週刊新潮」にあった

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「その日はぼくの生涯にとって忘れがたい日となった」

〈1957(昭和32)年7月23日午後2時40分の急行「安芸」で、ぼくは生まれてはじめて広島の土を踏んだ。「週刊新潮」のグラフを撮りに行ったのだった。職業写真家であるぼくは、いわば「商売」のひとつとして行ったのだった。〉

 のちに上梓する写真集『ヒロシマ』のなかで、土門自身が「はじめてのヒロシマ」と題して、書いている。いうまでもなく、〈「週刊新潮」のグラフ〉とは、上述の特別レポートのことである。

 この長い文章のなかで、土門は、何度も慟哭のことばを吐いている。

〈その日はぼくの生涯にとって忘れがたい日となった。〉

〈しかしぼくは、広島へ行って、驚いた。これはいけない、と狼狽した。ぼくなどは「ヒロシマ」を忘れていたというより、実ははじめから何も知ってはいなかったのだ。〉

 では、いったい、週刊新潮グラビアの土門の写真は、なにをとらえていたのか。

 特徴あるABCCのカマボコ型建物にはじまり、所長や日本側責任者の姿につづいて、〈被害を調査するABCCの手〉と題する頁があり、4枚の写真が掲載されている。すべて、なにかの作業をおこなっている「手」のアップだ。では、この「手」は、なにをやっているのか。一見、無機質な事務作業をやっているように見える。だが、キャプション解説を読んで、震撼しないひとはいないだろう。

〈ABCCは無料で傷害を調べてくれるところだと、広島の人たちは言っている。だが治療機関ではない。投下したアメリカ自身が調査した日本人26万人の資料。この恐るべき資料を全世界に訴えてほしい。〉

〈ガラス板の上に血管や筋肉内臓の組織がパラフィンではりつけられてゆく。〉

〈ゼラチンで固められた人体の部分が、1000分の3ミリの厚さに切られて標本に作られる。解剖死体の各所から取り出された標本は、1人平均90種にのぼる。〉

 要するに土門拳のカメラは、ABCCが、日本人被爆者を「標本」として分類研究している実態を、「手」を写すことで如実にとらえていたのだ。

 実は、週刊新潮取材班と土門拳カメラマンが、この特別レポートで伝えたい点は、ここにあった。

〈次に死体の解剖がある。いまでは月に15~18体が運ばれてくる。ABCCは、死体から平均91カ所、最高130カ所の組織体を切り取る。舌、ノド、五臓六腑、横隔膜……これらにオートテクニコンという機械でゼラチンを浸みこませ、いったん固めたものを、2~3ミクロンの薄さにサックと切り刻む。(略)都合、130枚のガラス片が収まると“一人前”の組織が並ぶ。〉(以下延々とつづくが、略)

 記事本文中の写真も、土門である。そのなかに、ある部屋のドアを写した1枚がある。

〈2階の一室の扉に「Biostatistics」(生物統計)と緑色のペンキで書いてある。ここが人間の身体から拾ったあらゆる徴候をカードに記録し、整理し、分類する部屋――。記録はすべて、0から9までの数字とXとVのローマ字であらわされる。(略)昭和20年8月6日午前8時15分、爆心地から1500メートルのところで歯をみがいていた少女は、今日、1枚のカードにあらゆる状況(もちろん内臓まで)が、カードにパンチされた「穴」で再現されている。〉

 こうした「生物統計」のカードは、26万枚に達している。土門のカメラは、そのカードを検索する「手」も写している。この部屋は「原爆戸籍係」と呼ばれ、IBMカード選別機で、あらゆるキイワードに応じて、1分間650枚のスピードで「抽出」される。まさに現代のPCによるデータベースを、紙のカードで実現させていたのである。

 原爆を落とした側が、被爆者を「生物統計」として分類する非情と不条理を、この特別レポートと写真は、余すところなく伝えていた。しかし、なぜアメリカは、こんな統計を集めるのか? 記事は、こう結ばれている。

〈不吉なことをいうようだが、次の原爆戦に応用できないことはない。(略)ABCCが「調査機関」であるという意味が判るような気がする。〉

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