「こんな国を、ジュエに渡したくないという気持ちがあるのでは」 拉致被害者・蓮池薫が語る北朝鮮の知られざる内部実態
【第3回記事/全4回】
金正恩はパン工場や石鹸工場の建設を宣伝し、「地方発展」を掲げる。だが北朝鮮の米価は去年の2~3倍に高騰し、ウォンは暴落している。
24年間北朝鮮に拉致されていた蓮池薫さん(新潟産業大学特任教授)の目には、その実態は「半世紀前から何も変わっていない」と映る。朝日新聞元ソウル支局長で、米韓の外交・情報関係者に知己も多い牧野愛博外交専門記者との対談で、拉致の現在を全4回にわたってお伝えする。
第3回では、半世紀前の生活水準と変わりばえしない、という当事者だからこそ語れる北朝鮮の内側を、牧野記者が次々と引き出していく。
※本記事は、新潮社が現在無料公開中の対談動画対談動画「拉致の現在」(蓮池薫×牧野愛博、2026年2月26日収録)をもとに、編集部が再構成したものです。
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米は2倍、3倍に
牧野:最近、北朝鮮の党大会の前後に、パン工場ができた、石鹸工場ができた、病院ができたといった北朝鮮の報道がかなり出ました。一方、現地の人からは、米の価格が去年の二倍、三倍になっているとか、ウォンもかなり下落しているという話が伝わってきます。
蓮池:まず米について言うと、生産量そのものは、客観的に見れば、そこまで悪い状況ではないと思います。むしろ、少し持ち直してきているという話もあります。それなのに、価格だけが一気に二倍、三倍になっている。これは明らかに異常で、人為的な要因が非常に大きいと考えざるを得ません。市場に出るのが抑えられているとしか考えられません。国営の販売所のようなものを作って統制すると、米を隠し持っている商人たちは市場に出さない。売り惜しみします。
牧野:そして価格が上がる。あの国は昔から、配給制度に代表されるように、人間が生きていくために必要なものをコントロールすることで、俺の言うことをきけ、ということをやってました。
蓮池:そうです。
こんな国を渡したくない?
牧野:金正恩は、2011年12月に後継指名を受けて、権力を継承したとき、最初は改革しようとしたわけですよね。
蓮池:ええ。
牧野:集団農場を、事実上、家族経営に近づけたり、企業に一定の裁量を与えたり。でも、途中でやめた。やはり、国家の統制が弱まることに対する強い警戒感があるからではないですか。
蓮池:ええ。利権が生まれてしまいます。分権化が進むと、力を持つ人間が出てくる。中国のような形ですね。そうなると、その地域、その産業を握る有力者が出てくる。体制にとっては、それが一番怖い。
牧野:最近、やたらにカードを作らせていますね。
蓮池:ありますね。
牧野:金の動きを見えるようにして、タンス預金をさせない。自信がないという感じがします。
蓮池:そう思います。
蓮池:後継体制を確立するためにやっていることかもしれません、長期的には。金正恩の頭の中では、体制作りが始まっているんです。韓国との関係を絶ったことが一つ。今まで誰も手を付けなかった地方の政策もそうです。農村で大々的に展開するとか、「平壌共和国」から脱したい、こんな国を、娘の金ジュエに渡したくないという気持ちがあるのでは。ベストな形で次に持っていきたい、そのための政策をやり始めている気がします。
ベタベタの油
牧野:労働新聞を見ると、昨日閉幕した党大会(2026年2月19日~25日)の前に、パン工場ができました、石鹸も作ってます、病院もできましたって、これでもかと、写真付きの記事が出ていましたが、社会の基盤はそれなりに発展しているんでしょうか?
蓮池:昔から地方工場はあるにはありました。言わば地産地消でやっている。しかし、そもそもおかしいと思うのは、「地方発展20×10政策」と言ってますが(毎年20の市・郡に工場を建設し、10年以内に200の市・郡の生活を向上させる政策)、各地方に一個ずつ、って、どれだけ効率が悪いですか。
牧野:そうですね。同じものを作って。
蓮池:輸送がうまくいかないですし、原材料は地方で勝手に調達せよということだと思うんです。中央工場があっても、そこには資源を投入したくないという本音を感じます。じゃあ地方でやってうまくいくのか。これまでやってきたことの繰り返しのような気がします。だって電気がないでしょう。
牧野:輸送も悪い。
蓮池:報道で、売っているものの質を見ると、外国に売ることができるような物はないですよ。
牧野:ないですか、やっぱり。
蓮池:例えば油。我々が使っていたのは大豆油だった。黄色いんですよ。ベタベタするような油なんです。
牧野:日本の油と比べると、質が相当落ちるんですか?
蓮池:全然悪いですね。家内は、その黄色い油が出てくると、いったん煮ちゃうんです。グズグズグズグズ。そうすると、不純物が蒸発して、透明なきれいな油になるので、それを使っていました。そんな油をまだ使ってる感じです。味噌もそうでしたし、石鹸は固形石鹸。
牧野:それで洗濯して体も洗って、とご著書に出ていました。
蓮池:洗ってました。そのあと、シャンプーを少し手に入れましたけど。
牧野:蓮池さんがいらっしゃった頃から半世紀、生活水準が上がってない?
蓮池:変わっていないと思います。あの質見てると。
牧野:私が昔聞いたのは、朝鮮戦争当時、金日成が、米軍が攻めてきても、独立してゲリラ戦が展開できるように、地域を賽の目に切って、最小単位それぞれに必要最小限の工場などを置いた、という話です。そういう発想を引きずっているのですから、社会設計のモデルがすごく古いのではないでしょうか。
列に割り込み、バス代を払わない
牧野:日韓の政府関係者に訊くと、北朝鮮の言っていることで、正しいかもしれない唯一の分野は軍事分野だそうです。核ミサイルも保有しているし、ICBMもアメリカ本土に到達するのは間違いない、大気圏再突入できるかどうかはわからないけれど。しかし、韓国と日本に届くのは間違いないと。防衛白書にも、北朝鮮の核ミサイルの脅威と書かれていますから。蓮池さんがいらした頃の北朝鮮は、正規軍だけで120万人、赤衛軍などを含めると200万人規模とも言われています。全国民の何分の一かが軍人という世界なのですが、どんな世界なのでしょう?
蓮池:70年代、80年代の初め頃は、街中で軍人ばかり見るような社会ではありませんでした。大きく変わったのが、「苦難の行軍」という飢饉の時代以降ですね。金正日が先軍政治を始めてから、軍人が幅を利かせるようになりました。帰国三ヶ月前から平壌に住んでいたのですが、外に出ると、軍人がシャツをはだけて、帽子を斜めにかぶって歩いている。何これ? と思いました。喧嘩しているのは大抵軍人です。
牧野:一般の人とですか?
蓮池:そうです。老人と喧嘩しているのを目の当たりにしたこともあります。ビールを売っている列に並んでいたら、軍人が前に割り込んでくる。老人が、「お前なんだ! 後ろ付け!」と注意すると、「先軍政治知らねえのか!」と返されて、「お前! 俺だって昔軍人だ。大先輩だぞ!」と言ったら、「知らねえよ、そんなこと」って。若い軍人は、いい時期に当たったな、って、威張り腐る。バスに乗っても料金を払わないとか。普通なら、軍人なんかひどい奴らだってなるところなんですが、五人に一人は軍関係者とも言われる社会ですから、家族の誰かが軍人なんです。親戚も。党の方針もありますし、簡単には批判できない構造になっています。
牧野:北朝鮮というと、鉄の団結で統制が行き届いているはずなのに、実態は緩いんですね。
蓮池:緩い。70年代、経済がそこそこよかった頃は、軍人が民間人に米を分けてやっていたと聞いたことがあります。ところが、80年代、90年代と、厳しい状況になると、軍人まで食料を切り詰められてしまうこともありました。不満が怖いから、盛り立ててやる。しかし逆に、鼻が高くなって傲慢になる。
牧野:金日成が、先軍と言い始めたのも、虎の背に乗ったと言われています。自分が軍人になればクーデターされないから、という発想が始まりだった、と。
捕虜にならずに自爆
牧野:ウクライナに北朝鮮軍が派兵されて、捕虜にならずに自爆するなんて言われています。私も元軍人の脱北者に、政治学習の締め付けがもの凄いから、と聞いたことがあります。
蓮池:今回クルスクに派遣された兵士は、特殊部隊のようです。
牧野:暴風軍団ですね。
蓮池:党機関の作戦部所属の戦闘員らしい。彼らは隔離され純粋培養された存在です。スマホもなく、外部の情報が入ってきません。仲間を裏切ったら、家族が報復されると徹底的に叩き込まれる。
牧野:蓮池さんも、北朝鮮にいらしたときは、隔離された空間にいらっしゃいました。人間は変わっていくものなのでしょうか?
蓮池:変わっていくんですけれども、軍人と工作員は別です。工作員は、外国で活動しますから、その国のことを知らないといけないわけです。
牧野:確かに。
蓮池:大韓航空機爆破事件以降、金日成の指示で、外国のことを教えろという方針になりました。外国のことを知らないから、知るとすぐに気持ちが変わるんだ、と。
牧野:工作員だった人に話を聞いたら、訓練で見た映画の中で、新幹線が出てきて、東京・大阪間を凄い速い時間で移動していることを知って、びっくりしたそうです。
蓮池:「新幹線大爆破」という映画が教材になってるんです(1975年公開の日本映画。東映製作・配給、佐藤純弥監督、高倉健主演)。そんななかで、疑問が生まれる。何かのきっかけで、亡命する人も出てくるわけです。異文化とまったく接することのない特殊部隊員がロシアに行ったところで、テレビはロシア語だし、閉鎖空間は変わらないですよね。
牧野:クルスクで戦死した兵士の遺族を金正恩が慰めて、平壌に住めるようにしてあげるなどと言ってましたが、遺族は納得できるんでしょうか?
蓮池:帰還兵士の歓迎会の演説文を読んだんです。戦う大義がないんですよ。
牧野:なぜロシアのために。
蓮池:ただ党のために戦ったってだけ。唯一、金正恩が演説で、クルスクに派兵した理由をどう言ったかというと、核を持っているロシアに対して、持たないウクライナが侵略した、これは放っておけない、と。核を持たない韓国が核保有国であるわれわれに攻め込んでくる前例になる、と。ひょっとしたら、本気で言ってるのかな、と思いました。
牧野:飛びついたんでしょうね。これは使える、と。
蓮池:もちろんロシアから得られるものはあるんですが。でもこの大義名分、あまり説得力がない気がするんですよ。
プーチンもうんざり
牧野:私の取材でも、金正恩の方から派兵したいとプーチンに申し出たようです。クルスクの作戦が終わって、プーチンがコメントを出したんですが、北朝鮮への言及が殆どなくて、側近たちが、もう少し褒めてください、と言ったといいます。プーチンにしてみれば、普段から同盟国を助けてやっているのに、よりによって北朝鮮かと。そんなプライドもあって、胸中複雑だったのではないかと思います。
蓮池:興味深い話ですね。北朝鮮はロシアから身捨てられる可能性大いにありますね。
牧野:ロシアは北朝鮮に兵器を渡すんじゃないか、と言っている方がいるんです。最近では、原子力潜水艦の技術の一部を渡したという報道がありました。しかし、中国の原潜は、ロシアの原潜に比べて静粛性が低いそうで、ロシアはそうした核心技術は渡さないということを示しています。
蓮池:中国に対してでも。
牧野:戦闘機もそうです。プーチンが、北朝鮮にはいはいって渡すとはとても思えない。
蓮池:もらっても、北朝鮮はどこかの国に売り飛ばすかもしれません。
牧野:確かに。北朝鮮は何をするかわからないので。防御兵器は渡すかもしれませんが、自分たちに返ってくるかもしれないのに、核心技術を渡すとは思えません。
蓮池:去年の暮れに、金正恩は軍事に関して、「並進路線」と言っています。核と通常兵器の両方やる、という意味なんですが、ウクライナを見て、核が万能じゃないな、と思ったのか。
牧野:党大会の演説でも、「Conventional Weapon=通常兵器」も刷新していく、これから革命を起こしていく、と言っています。私はかえって失敗するんじゃないかと思っているんです。元々、金正恩は、お金がないから核兵器を作って安く済みます、と言っていたわけですから。
蓮池:それもジュエのため? 繋がる気もします。長期的に見ると。
蓮池薫さんと牧野愛博さんによる対談動画「拉致の現在」は、現在無料公開中。動画では、金正恩の娘・ジュエの後継問題や北朝鮮の権力構造の仕組みについても詳しく語られている。
▼対談動画「拉致の現在」(2026年2月26日収録):https://www.youtube.com/watch?v=jO-pmPt3yxY
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第4回記事の〈金正恩の娘・ジュエが"後継者"になる日――拉致被害者・蓮池薫が語る、北朝鮮「権力の仕組み」〉では、後継問題と、北朝鮮の権力構造の核心に迫っている。
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