金正恩の娘・ジュエが“後継者”になる日――拉致被害者・蓮池薫が語る、北朝鮮「権力の仕組み」
9時間の演説でメモを取り続ける幹部たち、集合写真一枚が就職を左右する社会——。北朝鮮で24年間を過ごした拉致被害者・蓮池薫さん(新潟産業大学特任教授)が、当事者だからこそ語れる北朝鮮の内側を語る。朝日新聞元ソウル支局長で、米韓の外交・情報関係者に知己も多い牧野愛博外交専門記者との対談で、拉致の現在を全4回でお伝えする。
第4回では、金正恩が連れ歩く娘・金ジュエの後継説を、多角的に検討する。
※本記事は、新潮社が現在無料公開中の対談動画対談動画「拉致の現在」(2026年2月26日収録)(蓮池薫×牧野愛博)をもとに、編集部が再構成したものです。
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写真センターは前代未聞
牧野:われわれメディアがすごく反省すべきと思ったことがあります。党大会でジュエが何らかの役職に就くのではないかという記事が出ましたが、私が取材した脱北者は鼻で笑って、ジュエはまだ少年団にも入っていないかもしれず、党員になれっこないし、党員でない人間がどう政府や軍を指示するんだと。できるわけがない、と。確かに党大会には一切出てきていません。軍事パレードには出てきていますが。ただ驚いたのは、朝鮮中央通信が配信した写真に、ジュエを真ん中にして、金正恩が写っていないものがあったんですよ。凄くびっくりしました。こんなの初めて見たと思って。
蓮池:それ意味ありますね。
牧野:そうですよね。一号行事(最高指導者が出席するイベント)の写真で、一般大衆を写したものではなくて、特定の人間を中心に、最高指導者以外の写真を出したのは、初めてだと思います。
蓮池:私も、それはないと思いますね。やっぱりジュエという存在は、長期的な視野で、何かの考えの下で出していると思うんですよ。今すぐどうのこうのというよりは。
牧野:そうですよね。だって実際、われわれ「ジュエ」と仮に呼んでいますが、正式には名前も発表していないわけですから。一般の人は、この人なんていう人か、名前が分からないのに、党や政府の役職に就けるわけもないし。
蓮池:金正恩の頭の中では、後継は白頭の血統、つまり自分の直系以外はないっていう考えだと思うんですね(白頭の血統:金日成に連なる直系)。
牧野:そうですね。
蓮池:金与正(キム・ヨジュン)も、将来的にはそこまではなれない(金与正:金正恩の妹。党大会で朝鮮労働党部長となった)。
牧野:キョッカジですからね(キョッカジ:朝鮮語で「横枝」「脇枝」)。
蓮池:直系に何人子どもがいるのか。男系といっても、金正哲(キム・ジョンチョル)のような、音楽にしか興味のない人だったら、ジュエもありかな、と思います。限られた人間の中から選ばないといけないわけですから(金正哲:金正恩の兄)。
牧野:国家情報院が、三人説など、長男がいる説を流していた時期がありました(国家情報院:国情院。韓国の大統領直属の情報機関)。2011年頃、金正恩の兄の金正哲が、シンガポールにエリック・クラプトンの公演を聞きに行ったとき、国情院が監視していたら、玩具売り場に行って、男の子用の玩具と女の子用の玩具を大量に買い漁っていたので、男の子もいるらしいと判断したというのです。ただ、時系列が合わない。そのときは、まだ子どもが生まれていなかったはずなんです。やっぱり金正恩に男の子がいるという根拠にはならないだろうという結論になりました。最近は国情院も、男の子って言わなくなった。三人とも言わなくなった。基本的に二人、2013年ぐらいに生まれた金ジュエと、2017年ぐらいに生まれた第二子だろうということになっています。蓮池さんがおっしゃったように、第二子が男の子だったら、公の場に出すと思うんです。男の子だとしたら、金ジュエが初めて公の場に登場したぐらいの歳になってますから。男の方が、北朝鮮の人を指導するには便利なんですよね、女の子が指示するよりも。
蓮池:はい。
牧野:多分二番目も女の子で、そのうち海外に出すと思います。今、意図的に出していないので。
蓮池:朝鮮文化の中では、男性のほうが通りやすいでしょうね。男が頼りない場合に女性にするケースがある一方で、みんな四代目で飽き飽きしているので、目先を変えて女性でいくのもいいかもしれない、という考えだってあるかもしれません。
牧野:なるほど。
蓮池:最近、女性を結構引き立ててるらしいんですよ。
牧野:確かに、玄松月(ヒョン・ソンウォル)とか、金与正(キム・ヨジョン)もそう。崔善姫(チェ・ソンヒ)もそうですね(玄松月:音楽家、宣伝煽動部副部長)(崔善姫:外相)。
蓮池:完全に金ジュエに決めてはいなくても、そういう可能性は含んでいると。
牧野:今は党員じゃないし、指導する立場ではないけれど、金正恩の次はこの人なんだなっていうふうに、刷り込んでいるのかもしれませんね。
蓮池:雰囲気作り。
牧野:それを一生懸命やっているってことですよね。
蓮池:あると思います。彼女がなる可能性もあるだろうし、そうじゃない可能性もありますが、彼の直系の子どもたち以外は考えてないと思います。
軍部を気にしている
牧野:私、「金正恩機関説」と考えています。
蓮池:はい。
牧野:最高指導者が素晴らしい人間であれば、今の体制を認めてもらえるので、その体制で得をしている人間は必死に褒めちぎる。必死に拍手する。影の権力者たちは、金正恩がいるおかげで、国家公務員試験を受けなくても政府の人間になれるし、代議員にもなれる。彼らにとって、金正恩は必要なパーツです。共生関係にある。
蓮池:その通りだと思います。中国のような一党独裁ではなくて、一人の独裁なので、独裁者の運命が、自分の運命と重なる。つまり金一家による支配体制が、自分にとっても生きる道となる。運命共同体の意識を持っていると思います。多くの人たちの支持がなければ、最高指導者といっても、大胆な政策変更はできない。例えば、一気に非核化に行く、これからは西側と仲良くするんだっていう、急激な路線変更は、それによって立場が弱くなる勢力は、「殿! ご乱心」と阻止に回るかもしれない。
牧野:軍も失業するでしょうし。
蓮池:なんでもかんでもすべて好き勝手にできるような体制じゃない。
牧野:二言目には、最高指導者のためですと言いながら、自分の利権維持に走るので、確かにそうですね。
蓮池:金正恩も、彼らの顔色を見ていると思います。文在寅(ムン・ジェイン)が、南北首脳会談のとき、金正恩は軍部を気にしていたと振り返っているんです(文在寅:第19代大韓民国大統領)。保守派である軍部、党の組織部、指導部。文在寅は、金正恩が従わざるを得ないような雰囲気を感じたというんです。そういう人たちとは、呼吸を合わせてないとやっていけない状況になっているんじゃないかと思います。
牧野:やっぱり会ってみないと分からないことってあるんですね。
メモを9時間
牧野:大きな行事があるといつも不思議に思うことがあります。金正恩が演説するとき、映像を見るとみんなメモを取っているんですが、最長で9時間くらい演説したときもあって、そんなに長時間、メモを取れないと思うんですが。
蓮池:以前は、聞いているだけの人もいたような気もしますね。メモを取る人もいたし。おっしゃる通り、ここ何年か、一生懸命一心不乱にメモを書いている人ばかりになっている。おそらくメモは、あとで整理して提出するのでしょう。評価の対象になるから、みな一生懸命メモを取っている。強制的にやらされているというより、演説を戴いているというポーズなのでは。
牧野:メモを取り、拍手するときは、目の前まで両手を上げて、左右に手を広げながら大きく叩く。
蓮池:それは決まりです。
牧野:決まり?
蓮池:はい。顔まで手を上げずに拍手すると、生意気だと思われてしまう。金ジュエは、手を上げるどころか、手のひらを地面と水平にして小さく重ねるだけ。ありえない。
牧野:蓮池さんも北朝鮮にいらっしゃるときは、顔の前で拍手させられたんですか。
蓮池:やりましたよ。拍手のように、決められたスタイルもあれば、自然にそこに落ち着いたスタイルもある。
牧野:みんなで一生懸命、忠誠競争して、とにかく最高指導者の目に留まりたい。
蓮池:ええ、そうです。拍手していないとき、演説を真剣に聞いているポーズとして、メモしている姿勢が一番わかりやすいのではないですか。単に聞いているだけでは、不満があって聞いているのか、賛同して聞いているのか見えにくいから。
あんたそんなに知ってるのか
牧野:金正恩が一号行事で現地指導をするとき、一生懸命教えてますが、パン工場でも教え、病院でも教え、って、あんたそんなに知識あるのかと不思議です。音声は全部消していますが。あれ、ほんとに教えているんでしょうか?
蓮池:あれは宣伝です。私が帰国する前の話なんですが、金正日が幹部に指示するんです。「子どもたちの歯磨き粉に、フッ素を入れなさい。そうすれば虫歯になりません」みんな、いやー、すごいなってなる。ところが、世界中みんな知ってることで、日本でも普及してるわけですよ。
牧野:なるほど。
蓮池:愚民政策。国民に知識を与えない。そうしておいて、さすが指導者、と思わせる。意図的にシーンを作っている可能性は十分ありますね。
牧野:北朝鮮もイントラネットとはいえ、スマホで検索ができますから、最高指導者が指導しても、そんなことないだろう? って普通思いますよね。
蓮池:専門家からすると、子どもみたいなことを言って、と思うだろうけれども、やらせるところに、コントロールの意味がある。知ってる人間も、その通り、勉強になります、ってメモしないといけない。すべて演出だと思います。
夜中に練習
牧野:蓮池さんも一号行事に参加されたことはあるんですか。
蓮池:本(『拉致と決断』)にも書きましたけれども、金日成の告別式に動員されました。霊柩車が通る道路沿いに並んだ。遺体が載っていたかいないか定かではありませんでしたが。
牧野:前から行って、立ってなきゃいけないんですね。
蓮池:数時間前から行きました。暑い日でしたね、7月です。たくさんの人が、秩序正しく動くんですよ。慣れたもんで。終わって引き際も、秩序正しいんですよ。
牧野:あ、そうなんですか。
蓮池:あっさりしてて。驚いたぐらいですよ。「首領様ーっ」って、嘆き悲しむ動作はなくて、霊柩車が通り過ぎて、「ハイ、解散。帰ろう」。
牧野:みんな飛び上がっているじゃないですか。
蓮池:はい。
牧野:パレードが終わって、金日成広場には、脱げた靴がいっぱい落ちていると聞いたんですが。
蓮池:多分そうだと思います。
牧野:ぴょんぴょん飛ぶんで。だけどいちいち脱げた靴を拾っていると、忠誠心が疑われるから、そのまま。
蓮池:十分あると思いますね。一番困るのは、女性トイレ。
牧野:ああ、そうですよね。
蓮池:寒いときは特に。何時間も待たされますから。動けないわけです、いつ来るか分からないですから。そうすると、みんなでこう囲んで、そこで用足したり。
牧野:大変ですね。
蓮池:話はよく聞きましたね。えらい苦労させるんですよ、一号行事は。
牧野:我々が見ているのは、切り取られた一番いいところですから、そういう実態が分からない。
蓮池:少し動作が入ると、もう一か月、二か月前から準備。軍事パレードは、半年ぐらい前から練習。マスゲームもそうですけれども。
牧野:交通の邪魔にならないように、夜中に練習させられてかわいそうだという話を聞きます。
蓮池:子どもたちは、勉強より練習が主、という生活になりますね。
牧野:やはり、最高指導者に一歩でも近づきたい。手始めに、パレードの練習を一生懸命やんなきゃいけないってことなんですね。
蓮池:学校としては、ミスがあっちゃいけない。一人の欠席も出ないようにするし。パネルを開けたり閉めたり、動作が入るマスゲームの練習をしているときに、虫垂炎になった中学生が、我慢して練習に出て、終わったあと、入院したんですけど、えらい褒められてましたね。
牧野:火事のときに肖像画を持って逃げて褒められた、というのと同じですね。
蓮池:これも宣伝の重要な要素になってくる。
集合写真で就職
牧野:私がいつも変だなと思うのは、一号行事が終わったあと、最高指導者が参加者と写真を撮るじゃないですか。一万人ぐらい集まっている場所で。脱北者の人に、あんなの記念写真になるんですかって聞いたら、この写真が大事なんだよって。写真を家に飾っておくと、保衛部のやつも手加減してくれるし、すごく便利なんだって言っていました(国家安全保衛部:北朝鮮の秘密警察・情報機関)。
蓮池:そうかもしれない。接見者という肩書きが手に入るんですね。
牧野:そういう肩書きがあるんですか。
蓮池:それだけで優遇される。
牧野:配給とか?
蓮池: 配給もそうですし、就職全部そうですし。証拠品になるわけですから。
牧野:私は会ってます、と。
蓮池:二級勲章なんかよりも、よっぽど価値があるわけですよ。
牧野:やっぱりそういうシステムになっているから、最高指導者のために、ってなっちゃうんですね。
蓮池:そうですね、そういうシステムにしているわけですよね。上を信じるしかない、という社会体制を作っているということ。思想面だけではなくて、物質的な面でも、出世の面でも、報酬のシステムを作り上げているということです。
蓮池薫さんと牧野愛博さんによる対談動画「拉致の現在」は、現在無料公開中。動画では、米朝交渉の行方と拉致問題への影響についても詳しく語られている。
▼対談動画「拉致の現在」(2026年2月26日収録):https://www.youtube.com/watch?v=jO-pmPt3yxY
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第3回記事の〈「こんな国を、ジュエに渡したくないという気持ちがあるのでは」 拉致被害者・蓮池薫が語る北朝鮮の知られざる内部実態〉では、北朝鮮の経済実態や軍人社会の内側について、蓮池さんが当事者の目線で語っている。






