実は北を追い込んでいる――拉致被害者・蓮池薫が語る、今変えるべき交渉の方向

国際 韓国・北朝鮮

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【第1回記事/全4回

 2002年、5人の拉致被害者の帰国に世論は沸騰し、全員帰国は国民の悲願となった。以来24年、新たに帰国した拉致被害者はおらず、北朝鮮はミサイル発射を繰り返す。

 北朝鮮が示した「8人死亡」という説明は、物的証拠がゼロのまま今も放置されている。だが拉致被害者当事者である蓮池薫さん(新潟産業大学特任教授)は、今必要なのは再調査でも検証でもなく、交渉の方向そのものを変えることだ――。朝日新聞元ソウル支局長で、米韓の外交・情報関係者に知己も多い牧野愛博外交専門記者との対談で、拉致の現在地を、全4回でお伝えする。

 第1回は、日朝交渉はいま、実は北朝鮮を追い込んでいるという意外な分析から始まった。

※本記事は、新潮社が現在無料公開中の対談動画「拉致の現在」(蓮池薫×牧野愛博、2026年2月26日収録)をもとに、編集部が再構成したものです。

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実は北を追い込んでいる

牧野:蓮池さんの『日本人拉致』(岩波新書)、興味深く拝読しました。日本政府や北朝鮮の政府関係者にも取材したことがありますけれども、どうしても決まり切った角度になってしまう。そういう中で、蓮池さんのように、拉致被害者の視線に立って、北朝鮮でどういう生活をして、北朝鮮の人が何を考えているのか、そうしたことを踏まえた上での分析は、すごく勉強になりますし、新しい視点だと思いました。

 蓮池さんたち五人が帰国されてから24年、日本政府の拉致問題の交渉姿勢を見ていると、全員帰国を目指すという方針自体はいいんですが、生きている人の情報をとにかく集めなきゃいけない、というところに集中しすぎていて、やり方が一辺倒になっていると感じることもあります。本当にこういうやり方でいいんだろうか、と。本書にはさまざまな新事実が書かれていますが、日本政府の交渉や情報収集にどのように生かされているとお考えでしょうか。

蓮池:北朝鮮が、日本側が提出したリストに対して回答したのが2002年ですよね。それから2年後の2004年。その結果が、8人死亡、5人生存。それから、最終的に4人が「未入境」とされています。この8人死亡という説明も、未入境という説明もそうなんですが、根拠が非常に曖昧というより、ほとんど成り立っていない。明らかに言えることは、物的証拠がゼロなんですよ。説明もデタラメです。それにもかかわらず、これを追いかけて再調査をやるとか、北朝鮮の説明を「検証」しようとすると、逆に事の本質を見失ってしまうんじゃないか、という気がするんです。2004年以降、この「8人死亡」という説明について、新たな説明もしていなければ、修正もしていない。ストックホルム合意でも、「未入境」とされていた人がいるということは出してきましたけど、8人については完全にノータッチです。北朝鮮自身、これ以上説明を積み重ねても日本は取り合わない、自分たちの説明が成り立っていないと分かっている、そういう状態だと思います。日本側がそこまで追い詰めたのが現段階であり、我々や帰国者の証言も、それなりの意味を持ったと思います。ですから、これからの交渉は、「本当なのか嘘なのか」を証明する段階ではなくて、政治的決断をさせるところまで来ているのではないかと思います。つまり、今まで言ってきたことは嘘でしたと撤回させる。プライドもあるでしょうから、公に撤回させるのは難しいのかもしれませんが、今まで言ってきたことは実は間違ってました、こうこうこうなんです、と、新しいものを出させる交渉にしなければいけない。北朝鮮は修正のような生半可なことで対応できないから、解決済みだと突っぱねるしかないのです。

牧野:うん、うん。

蓮池:今までの説明が本当か嘘か、の議論を延々とやっていたら、結局、北朝鮮の時間稼ぎに付き合わされるだけになる。日本政府も、再調査は、あまり言わなくなっているような気がします。政治的決断してくれよ、というところまで来ている気がするんです。

1年は待てない

牧野:情報収集だけしていてもしょうがない、ということでしょうか?

蓮池:方向性の問題です。生存者がどこにいるか、とか、今後の交渉において主導権を握れるような情報収集に力を入れる。

牧野:なるほど。

蓮池:交渉で向こうが何か出してきたとき、そうじゃないでしょ? と、言えるような情報を、着実に得る。生存者情報をしっかり手に入れる必要があります。そのためには、色々な方法があります。

牧野:日本の政治家の一部は、連絡事務所を作ったらどうかと言っています。連絡事務所を作ると北朝鮮に騙されるから、やめたほうがいいという意見もあります。自分の経験で言うと、普段から会って色々話をする中で、人脈も増えて、図らずも分かることもあります。やっぱり、何も接点がないよりはあったほうがいいと思うんですが、いかがでしょうか。

蓮池:家族会の方々が、石破総理がおっしゃった連絡事務所に反対したというのは、総理は連絡事務所の目的を、明確におっしゃってるんですよね。

牧野:はい。

蓮池:再調査のため、というお話で。そういう段階ではないのかな、と思います。

牧野:なるほど。

蓮池:でも、連絡事務所は、調査以外にも利用できますよね?

牧野:できますね。

蓮池:幅広い情報活動を行ったり、首脳会談のための下準備をする場であったり、信頼関係を少しずつ作っていく場であったり。そういう意味で、私は頭から反対はしていません。ただ、今の北朝鮮の状況を見たときに、そう簡単に連絡事務所まで行くのかな? という疑問もあって。

牧野:はい。

蓮池:しかも1年、2年、3年かかるってなると。今すぐ情報が必要だとなると。

牧野:そうですね。

蓮池:北朝鮮と中国を行き来する人であったり、脱北ブローカーであったり、さらには科学機器を使って、情報を仕入れる。

牧野:はい。

蓮池:衛星によって、各招待所・地域を24時間体制で監視するなど、技術も駆使する。いろんな人脈を使って、水面下で情報を収集する必要もあると思いますね。

牧野:確かに、平壌に大使館を持っている中国やロシアの情報は、日本の外交官も言ってますが、やはり水準が違います。日々取ってくるデータもありますし。ドイツやイギリスの元平壌駐在の外交官に話を聞いても、初めて分かることもたくさんあります。

軍事救出はあり得るか

牧野:蓮池さんが帰国されて24年経ちます。私も含めてマスコミはいろんなことを書いて、北朝鮮がミサイルを発射するたび、拉致被害者の方のところに行って、どう思いますかと聞いたり、拉致問題でもいろんな主張が飛び交っていますが、私たちも、北朝鮮と接触したこともほとんどないですし、こういう主張でいいのか? と悩むときもあります。メディアや政治家の主張を、どうご覧になっていますか?

蓮池:対北朝鮮の交渉において、温情を施せば温情で返してくれるという意見は、私から言わせると、ちょっと甘すぎる考え方。一方で、なんで力でやらないんだ、という方もおられます。真顔で軍事救出を唱える方がいて、可能性ってどのぐらいあるのかな、と疑います。両極端のお話を聞くと、いや、そうじゃないでしょ、やっぱり一対一のシビアな交渉、外交交渉によって初めて全員救出が可能になるんだと思います。戦争を引き起こしかねない軍事救出であったり、逆に、まず国交正常化して、経済援助のカードを切ったら返してくれる、といった極端な考えは、受け容れられません。

牧野:私も、もっとリアルに考えたほうがいいと思うんです。

蓮池:リアルに考えなきゃなんない、と思いますね。例えば、北朝鮮は悪いことをしたんだから後ろ暗いところがあるし、責任を感じるだろう、とおっしゃる方がいるんですけど、はっきり、北朝鮮は過去を見てるわけですよ。

牧野:はい。

蓮池:日本の過去はなんだったんだ、と。拉致と太平洋戦争と、被害者の人数を挙げて比べられることもあります。拉致はせいぜいこのぐらいだな、昔はこれだけの人たちが苦労したんだと。そんな姿勢で言ってくる人たちに、温情でどうのこうのというのは、幻想だと思います。

交渉相手の顔がわからない

牧野:日本の外務省も、北朝鮮と秘密接触した最後のときから、もう10年ぐらい経っています。外務省のコリアンスクールの外交官でも、北朝鮮外務省日本課の人間ですら、顔がよく分からない。

蓮池:ああ、なるほど。

牧野:ましてやその相手が何を考えてるのか、わかるはずもない。

蓮池:ええ。

牧野:この人はこういうバックグラウンドがあるので、こういう主張をするだろうとか、そういう発想がもうないんですよね。情報戦を一から構築してかないと、いきなり首脳会談をやって拉致被害者を返せとか、お金をあげますとか言っても、解決には繋がらないと思います。

蓮池:そうですね。そもそも下準備がない状態で、金正恩が首脳会談に出てくるはずがないんです。

牧野:そりゃそうですね。

蓮池:第二回米朝首脳会談でハノイまで行ってトランプ大統領と会談して決裂し、赤っ恥かいて帰ってきて、今度また日本とやっても、何の獲得もないというわけにはいかないでしょう。手ぶらで終われるわけがないんです。

牧野:下の人間がただで済まないですからね。

蓮池:失敗したら、国内はどうするの? 対外的なイメージはどうするの? 首脳会談は準備交渉の積み重ねがあって、北朝鮮もある程度「やれる」という確信を持ててはじめて、引っ張り出せるんであって。

牧野:はい。

蓮池:呼びかけだけだと、北朝鮮は、何言ってんだ? って感じじゃないのかなって、正直思います。もちろん、呼びかけ自体がだめだっていうことではないんです。北朝鮮が応じる「何か」を、やっぱり見せてやらないと。

牧野:そうですね。

蓮池:首脳会談には行かないな、っていう思いは強いですね。

牧野:うん、うん。

 蓮池薫さんと牧野愛博さんによる対談動画「拉致の現在」は、現在無料公開中。動画では、日本が今とるべき具体的な情報収集の方法論についても、さらに詳しく語られている。

▼対談動画「拉致の現在」(2026年2月26日収録):https://www.youtube.com/watch?v=jO-pmPt3yxY

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 第2回記事の〈トランプが北朝鮮と“手打ち”する日――米朝接近で拉致問題が永久に置き去りになる「最悪のシナリオ」〉では、トランプ政権下で現実味を帯びる米朝接近が、拉致問題に与える影響について蓮池さんが警告している。

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