「われわれとは身分が違います」 教え子が遠慮した「美智子さまの伯父」の葬儀、当時の侍従長らが明かした“皇室の葬儀事情”

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喪主がすでに緊張?

 たしかに、たとえ天皇家側が公式の場をはずして、出来る限り目立たない形で弔問するにしても、周囲はひどく緊張する。

 3月22日、皇太子ご夫妻は正田邸に入られたが、このとき現場に動員された警備陣は、所轄の大塚署から警備の係官らが20名。警視庁から警衛関係者が10数名。東宮御所からの随員も6名。

 そのためかどうか、喪主の長男・彬氏からして、ご夫妻を祭壇に先導するとき、すっかりアガってしまったらしい。この日、正田家では、部屋と部屋の間の敷居の上に、ご夫妻がつまずかれないようにと、新たに絨毯を敷き、それを両面テープでしっかり留めたのだが、その肝心な絨毯を彬氏自身が蹴飛ばしてしまったのだ。

 なお、建次郎氏は死の直前まで、週の2日を武蔵学園の学園長として、武蔵大学の本部に出勤し、他の週日は学士院第二部長、東京都教育委員としての仕事に充てていた。その合間には、付属高校や中学の教壇に立ち、子供たちに数学を教えていたともいう。そして、土曜日曜の余暇は、自宅の庭に作った窯で焼物を焼いて楽しんでいたらしい。

 最後まで「スケールの大きな自由人」だったということである。

(以上「週刊新潮」1977年3月31日号「美智子妃殿下の伯父『正田建次郎氏』の葬儀に関して『天皇家』の配慮と行動」より)

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その後の葬儀では

 建次郎氏の葬儀から11年後、1988年に美智子さまの母、正田富美子さんが逝去された。美智子さまは皇太子ご一家として弔問し、その翌日に執り行われた密葬では浩宮さま(現在の天皇陛下)、紀宮さま(現在の黒田清子さん)、礼宮さま(現在の秋篠宮さま)とともに出棺を見送られた。

 美智子さまの父、正田英三郎氏が逝去されたのは1999年のこと。当時皇后の美智子さまは通夜と密葬に参列され、天皇陛下(現在の上皇さま)は通夜に先立ちご拝礼になった。密葬には浩宮さまご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)と紀宮さま、秋篠宮ご夫妻とともに参列された。

 第1回【「美智子さま」皇太子妃時代の“思いがけない訃報” 敬愛する伯父の葬儀で見えた皇室の「民間では想像もできないようなご配慮」】では、上皇ご夫妻(当時の皇太子ご夫妻)の驚きについて、東宮御所の重田保夫侍従(当時)が証言している。

デイリー新潮編集部

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