アメリカ・ベントンビルの「とんでもない美術館」 高額な名画がずらり…ではない面白さ(古市憲寿)

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 ベントンビル。その町の名前を聞いたのは何年も前のことだ。アメリカ中南部アーカンソー州の町で、ニューヨークからは飛行機で約3時間の距離。人口が6万人ほどの小さな町に、何やらとんでもない美術館があるらしい。

 先日、ついにそのベントンビルを訪れることができた。いわゆる企業城下町だ。時価総額が150兆円を超えた世界最大の小売業者ウォルマートのお膝元。創業の地域であり、今も本社がある。ウォルマート、日本ではイオンが近いのだが、売り上げが桁違い。何と世界で年間100兆円。ただのスーパーマーケットを超えた国家のような企業だ。創業者はサム・ウォルトン。富豪になっても古いトラックで愛犬と共に移動していた。

 現在、ウォルトン家はウォルマートの経営からは退いているが、多数の株を保有していて、総資産は約80兆円。アメリカで最も裕福な一族である。日本とスケールが違う。

 そのウォルトン家と行政がタッグを組みながら町づくりを進めている。例えばベントンビルは全米屈指のマウンテンバイクの聖地になった。町中にバイク用の道路が整備され、自転車で登れるオフィスビルなんてのもある。

 ベントンビルを世界有数のアートの町へと導いたのは、サムの長女であるアリス・ウォルトン。その結晶が2011年に開館したクリスタル・ブリッジズ美術館。結論からいうと、非常に趣味のいい美術館だった。オークションで話題の高額な名画を買い集めて並べるのではなく、学芸員が明確な意図を持って、「アメリカ美術」を再定義しているように思えた。

 アメリカの有名美術館で多いのは、バスキアやウォーホルなど著名で高い絵画をこれ見よがしに集めて並べるパターン。それも派手で楽しいのだが、クリスタル・ブリッジズはもっと上品。例えばジャクソン・ポロックの抽象絵画が、本当にさりげなく、展示の趣旨に合わせて飾られていたりする。

 美術館自体も無機質な白い箱ではない。展示室を移動する途中では、窓の外から降り注ぐ太陽光、それを反射する池のきらめき、樹木の様子を楽しむことができる。クリスタル・ブリッジズという名前の通り「橋」をうまく活用した空間になっているのだ。工事現場を見せてもらったが、拡張部分が6月にオープン予定だという。

 美術館の入場料は無料。誰でも自由に入場することができる。アメリカは超格差社会といわれる。だが国家を介さない富の再分配が、アメリカの文化を底支えしているのだろう。

 今回、アリスと会うことはかなわなかったが、代わりにアリスと館長のロッド・ビゲロウから丁寧な手紙をもらった。というわけでお礼がてら極東の雑誌にベントンビルと美術館のことを書いてみた。突然の訪問だったのに歓迎していただきありがとうございました。って、こんなことを日本語で書いても絶対に気付かれないだろうけど。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2026年2月26日・3月5日号掲載

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