アスリートがメイクをして何が悪いのか―― 「国籍」「容姿」への攻撃、五輪開催中も6万2000件の誹謗中傷
オリンピックが開催されるたび繰り返されるSNSでのハラスメント。今回も負傷のため2大会連続で棄権せざるをえなかったフリースタイルスキー女子の近藤心音選手やフィギュアスケートアイスダンスの吉田唄菜選手、森田真沙也選手にアンチコメントが寄せられたり、「りくりゅう」の木原龍一選手がディープフェイク被害に遭ったりするなど、選手たちが受けた理不尽な攻撃は尽きることがなかった。
2012年のロンドンオリンピックでは競技の魅力を伝え、ファンとの距離を縮めることができるツールだとポジティブに受け入れられていたSNSだが、12年後のパリオリンピックになると、アスリートに対して「ブス」「キモい」「死んでしまえ」「消えろ」「出来損ない」など誹謗中傷が相次ぎ、国際オリンピック委員会(IOC)ばかりではなく、日本オリンピック委員会(JOC)からも声明が出される事態になった。
ミラノ・コルティナオリンピック期間中の2月13日にミラノ市内で記者会見を開いた日本選手団は、この時点で選手らへの誹謗中傷がすでに約6万2000件あったと明かしている。AIを活用してSNSやインターネットのポータルサイトを24時間監視し、投稿の削除要請を行っても、法的措置を取ることを宣言しても、選手への中傷は止むことはなかった。
「自分を支えられるようになる」ことの象徴
心ない言葉に選手たちはどう向き合っているのか。今オリンピックでスキージャンプ混合団体銅メダルに貢献した高梨沙羅選手には、メイクを始めた20歳前後からネガティブな意見が寄せられるようになった。高梨選手はメイクについて、
「アスリートだって、自分の“好き”を楽しんでいいじゃないですか。メイクとか、わたしにとっては“深呼吸”みたいなものなんです(中略)“競技に集中してない”って言われたこともあるけど、私にとっては逆。“自分を大切にできてるか”が、結果にもつながる(中略)自分のことを好きでいられる時間が増えると、自然とジャンプも良くなる。どんな時も自分で自分を支えられるようになることが、大事だと思うんです」(2025年7月1日 Red Bull アスリートストーリー)
と語っている。このことについて、『意味ある敗北とは何か アドラー心理学で読み解くトップアスリートの言葉』(新潮社)の著者である内田若希氏(九州大学大学院人間環境学研究院准教授)は、同書のなかで次のように述べている(一部再編集、以下同)。
〈女性アスリートのメイクをめぐっては、以前から様々な議論がなされてきました。メイクをしている女性アスリートに対して、「チャラチャラしている」「異性の目を意識している」のように、行為そのものに対してネガティブな感想が寄せられたり、「メイクをする暇があるなら練習しろ」「外見ばかり気にして競技に集中していない」「競技への覚悟が足りない」など、競技スポーツと結びつけた批判的な意見が浴びせられたりしてきました。
アスリートではない一般の女性が「メイクをしてキレイになりたい」と口にしても、ほとんどの人は違和感を持たないはずなのに、女性アスリートがメイクに興味を持つと、眉を顰める人がいるのはなぜなのでしょうか。それは、「アスリートとはこうあるべき」「アスリートにはこうあってほしい」という自分の考え方や価値観=自分のメガネを通して、メイクが競技スポーツにおいて不要なもの、パフォーマンスに悪影響を及ぼすものと解釈しているためです。
(中略)高梨選手の「アスリートだって、自分の“好き”を楽しんでいいじゃないですか。メイクとか、わたしにとっては“深呼吸”みたいなものなんです」という言葉にあるように、高梨選手にとって、「メイクをすること」は競技スポーツにおいてマイナスの要素を意味するものではなく、自分にとって当たり前のもの、必要なものとして日常の中に根づいていることがわかります。
また、高梨選手にとってメイクをすることは「自分を大切にできてる」「どんな時も自分で自分を支えられるようになる」ことの象徴であり、その結果として高梨選手の強さを支える確固たる自分軸が創りだされているのではないでしょうか。
同様に、メイクによって競技スポーツに向かう気持ちを高めたり、強気で自信があるように見えるメイクを方略の一つとして取り入れたりしているアスリートもいます。このように、女性アスリートが「メイクをすること」に対してネガティブな考えを持つのか、あるいはポジティブな意味づけをするのかは、人それぞれの自分のメガネによって異なるのです〉
相手を変えようとする不健全な行為
誰もが独自のメガネを通して世界を見ているため、同じ出来事に遭遇しても、受け止め方や行動は人によって異なる。だからこそ〈メイクをして大会に出場する女性アスリートに対して批判的な意見を浴びせるというのは、「メイクはすべきではない」という自分のメガネが正しいと思い込んで相手を変えようとしているのであって、不健全な行為〉(『意味ある敗北とは何か』)だという。
高梨選手は先の記事内で、「意見はあって当たり前。それでも、自分のスタイルを持ち続けたいんです」とも語り、メイクをすることに対する意見の善し悪しを争うことはしなかった。
〈高梨選手のように、自分のメガネを他者に押しつけることなく、日常生活や競技スポーツの場面で心を整えるために、自分の世界の見え方を広げる練習をしてほしいと思います。そのための方法の一つは、相手の考えや価値観、状況などに対して、最大限に思いを巡らせることです。
具体的には、「相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じる」(岩井俊憲『勇気づけの心理学 増補・改訂版』 金子書房 2011年)ように努めることです。そして、「もしかして……」「ひょっとすると……」と想像を膨らませてみると、今まで見えていなかった視点や相手の真意に気づけるようになるでしょう〉(同)
「自分が100%良いことをしても……」
勝負事の世界に身を置くアスリートたちは、対戦相手のファンから攻撃を受けるだけではなく、自分のファンからでさえ「自分ならこうしたのに」という価値観を押し付けられ、誹謗中傷の対象になりやすい。内田氏は、〈価値観の押しつけをする人は、自分のメガネで見た世界が正しいと信じており、自分の意見や価値観をアスリートにわからせようとしているのです。ここで、いくらアスリート側が自分のメガネで見えている世界を説明しようとしても、どちらの意見や価値観が正しいのかを争うことになってしまいます。いわばマウントの取り合いになってしまい、誹謗中傷がエスカレートしかねません〉(『意味ある敗北とは何か』)と述べており、またアスリートや関係者を完璧に守る対応策が存在していない現状から、アスリート自身もSNSとの向き合い方を学び、身につけておくことが重要だと考えている。
2025年12月、WTTファイナルズ(国際大会年間最終戦)香港で優勝した卓球の張本智和選手は、両親は中国四川省出身であるものの、日本で生まれ育ち、2014年に日本に帰化している。しかし、両親が中国出身であることから、ネット上で誹謗中傷を受けることが少なくなかった。張本選手はこれらのことに対し、「もし、自分がもともと日本人だったとしても、何か言われることはあるでしょうし、親が日本人であってもあると思います(中略)何をしても言ってくる人もいます。例えばですが、挨拶をしただけでも『挨拶してくるな』と言う人もいる。自分が100%良いことをしても、悪いことを言う人がいる(中略)気にせず、自分が正しいと思うことをしっかり一生懸命頑張ればいいんです」(2024年8月2日 THE ANSWER)と語っている。
誹謗中傷と建設的な批判の違い
張本選手の言葉のなかに、SNSの向き合い方のヒントがあると内田氏は述べる。
〈この張本選手が言う「自分が正しいと思うこと」を頑張るために、どのようなことが必要でしょうか。それは、正解探しをしたり、誰が正しいかを他者と争ったりすることに注力するのではなく、誹謗中傷と建設的な批判を見分けるスキルを身につけることではないかと考えています。誹謗中傷は、事実に基づかない人格否定や攻撃的あるいは侮辱的な言葉ですが、建設的な批判はあくまでも事実に基づく前向きな意見であり、より良いパフォーマンスにつなげるための改善点のヒントやアイディアを提示するものです。
それでは、誹謗中傷と建設的な批判の違いを考えてみましょう。日本代表のアスリートが前回の敗戦時と同じミスを繰り返し、また試合に負けてしまった場面をイメージしてみてください。その際に、「前回と同じミスで負けるなんて、バカなのか? お前みたいなのがよく代表になれたな」は誹謗中傷ですが、「前回と同じミスで負けるなんて、もう少し前回の敗戦原因を分析して、~~していればうまくいったのでは?」は、前回と同じミスで負けたという事実に対し、改善点を述べた建設的な批判になっています。この場合、前者の誹謗中傷については反応する必要はなく、後者の建設的な批判の中で提案された改善点を吟味し、それを採用するかどうかをアスリートは考えたら良いのです。
とはいえ、心ない誹謗中傷が否応なく目に入ることもあるでしょう。もし、深く傷つき、つらいと感じる場合には、SNSの「ミュート」や「ブロック」などの相手を遮断する機能を使うことが推奨されています。また、日本オリンピック委員会と日本パラリンピック委員会は、誹謗中傷の被害にあったアスリートや指導者、スタッフの支援のために、「オリンピック・パラリンピック誹謗中傷・相談『ホットライン』(https://www.joc.or.jp/for-athletes/defamation/consultation-hotline/)」を2025年3月に開設しています。必要に応じて専門家の適切な支援を受け、安心・安全にスポーツキャリアを続けられるようにしていきましょう〉(『意味ある敗北とは何か』)
※本記事は、内田若希著『意味ある敗北とは何か アドラー心理学で読み解くトップアスリートの言葉』(新潮社)の一部を再編集して作成したものです。












