俵万智が子どもの「ゲームやり過ぎ」を止めた“言葉”とは 息子を納得させた言葉の達人の子育ての知恵

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「勉強ばかりしているとジャックはバカになる」――映画「シャイニング」で繰り返される、英語のことわざである。

『バカの壁』で知られる養老孟司さんは子どもの頃、「本ばかり読んでいるとバカになるよ」と近所の老人に言われたという。

「ナニナニばかりしているとバカになるよ」――こんな風に大人が子どもをたしなめるのは、いつの時代も見られる光景なのだろう。その対象は時代によって変わる。

「マンガばかり」「テレビばかり」「ゲームばかり」「スマホばかり」等々。

『サラダ記念日』などのベストセラーで知られる歌人、俵万智さんも、ゲームに夢中になっている我が子を前に考えた。

 そして、さすがの比喩を用いながら子どもを納得させたところ、息子さんからも思わずうなってしまうような答えが返ってきて――。そんな「言葉」にまつわるエピソードが、俵さんの新著『生きる言葉』で紹介されている。

 子どもがゲームやスマホに夢中で困っている親は多いだろう。俵さんはいったいどんな対応をしたのか。(以下、同書から一部編集して引用します)。

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絵本の読み聞かせの効用

 今の時代、これからを生きていく世代にとって、スマホやネットなしの暮らしは考えられない。だから全否定するつもりはない。ただ、子どものうちは、なるべく触らせないのが吉だと思う。一度触れてしまったら、特に幼い子どもは抗いようがない。大人のほうも、そのラクさに、ついすがってしまう。

 私が子育てをした2000年代、スマホはなかったものの、懇意にしていた小児科の先生から「3歳まではテレビを見せない。そういう英才教育をしてはいかがですか」と言われた。英才教育とは大げさな、と思ったが、今ならよくわかる。

 早期に何かを与えることよりも、電子機器との出会いを遅らせることのほうが、実は遥かに難しい。そういう環境をキープしてやるには、ありえないほどの手間ひまがかかる。それこそが英才教育なのだ。残念ながら私は、アンパンマンのビデオを擦り切れるほど見せてしまったので、偉そうなことは言えない。ただ、絵本の読み聞かせは、たっぷりしてやった。ビデオ(今なら動画)と読み聞かせの大きな違いは、生身かどうか、受け身かどうか、だろう。
(中略)
『花さき山』という絵本を読んだときに、ふと思いついて、息子の花は咲いているかと聞いたことがあった。人のためになにか一ついいことをすると、人知れず花が一つ咲く、それが花さき山だ。

「たくみん(息子の愛称)のはねえ、白い花」というのが答えだった。

 幼稚園で、お友だちが牛乳をこぼして泣いてしまったときに、一緒に拭いてあげたのだと言う。そんな話は初耳で、絵本があいだにあるからこそ聞けたことだなと思った。

 園から帰ってきた息子に「今日どうだった? 今日どうだった?」と前のめりに尋ねても、いつも「ふつう」とそっけない返事だったのに。生身のコミュニケーションツールとしての絵本である。

ゲームという強敵

 生身か受け身かという点では、ゲームも要注意な強敵だ。ゲームの中では、いくら動いても、風や匂いや痛み等を感じることはない。決められたルールの中で、決められたことをクリアしてゆく。そこにストーリー性があったり、仲間との連帯という喜びがあったりするのは理解できるが、そればっかりで子ども時代を過ごすのはもったいない。五感を刺激されることで、成長してゆく時期なのだから。

 ゲームについては、息子もやりたがってキリがなかったので一計を案じた。

「ゲームが面白いのは、わかる。でもね、これはおやつなんだよ。ケーキやチョコレートと同じ。おいしいからって、朝はケーキ、昼はポテチ、夜はチョコレートだったら、大きくなれないし、病気になってしまうよ。だからゲームも、おやつみたいに分量と時間を決めて、楽しくやろう」

 このたとえは説得力があったようで、息子も「うまいこと言うね!」と納得していた。そしてゲームをした時間と同じだけ本を読むというルールも付け加えた。頭ごなしに否定したり、規則を押しつけたりするのでなく、「おやつ」という身近な比喩は、子どもの心をとらえてくれたようである。

 その後、小学二年生から、縁あって沖縄の石垣島に住むようになったのだが、いつのまにか息子はゲームをしなくなった。「そういえば最近、全然ゲームしないね」と言うと、おやつ以上にうまい答えが返ってきた。

「だってお母さん、オレが今マリオなんだよ!」。

息子の言葉をもとにした短歌

「オレが今マリオなんだよ」島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ

 大自然の中で、友だちと一緒に暗くなるまで遊びほうける日々。滝つぼに飛びこみ、海で釣りをし、サトウキビ畑で鬼ごっこ。その冒険は、まさに自分自身がゲームの主人公になったような気分だったのだろう。五感をフルに活用することは、言葉を鍛える土台のようなものではないか、と思う。「めいっぱい遊ぶ」ことは、机の上の勉強と同じくらい、いや大人になってからは出来ないという意味では勉強以上に、大事なことだ。
(中略)
 児童の数が少ないので、必然的に年齢の違う子どもが一緒に遊ぶことになる。たとえば鬼ごっこの時には「一年生には二回続けてタッチしない」など、独自のルールを話し合って決めていた。ヤドカリに息を吹きかけて次々貝殻から追い出す遊びに息子が熱中していると「ほんとうに欲しい貝のだけにしといてやれ」と、にいにいが諭す。親に命の大切さを説かれるより、ずっと効くようだった。

 イワサキクサゼミというハエくらいのサイズの蝉を、生きたままブローチのように胸に付ける遊びがある。地面にたたきつけて蝉を気絶させるのだが、力が強すぎると死んでしまうし、弱いと逃げられる。どこまでが効果的で、どこからがやりすぎかは、何度も試して覚えるしかない。何ごとにもそういう力加減は必要で、たとえば言葉を扱うときにも、大事なことだろう。

俵万智(タワラ・マチ)
1962(昭和37)年大阪府生まれ。歌人。早稲田大学第一文学部卒業。学生時代に佐佐木幸綱氏の影響を受け、短歌を始める。1988年に現代歌人協会賞、2021年に迢空賞を受賞。『サラダ記念日』『愛する源氏物語』『未来のサイズ』の他、歌集、評伝、エッセイなど著書多数。

△△デイリー新潮編集部

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