あまりに切ない……歌人1000人が選んだ「人生最後の歌」 圧倒的1位の一首とは?

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 平成の31年間で詠まれた短歌は膨大な数にのぼる。その中から「一番の名歌」を選べと言われても、叙景歌(風景を詠んだ歌)から抒情歌(感情を詠んだ歌)まで多種多様な歌がある上、そもそも好みや評価は人それぞれなので、なかなか意見は一致しないはずだ。

 しかし、短歌専門誌が、歌人千人にアンケートを取ったところ、圧倒的な大差で1位に選ばれた歌があるという。宮中歌会始の選者を務める歌人・三枝昻之さんの新刊『百年の短歌』から、一部を再編集して紹介しよう。

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 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が――河野裕子

 平成30年12月の「短歌研究12月号(2019短歌年鑑)」が歌人千人へのアンケート「平成の名歌」を特集、そこで他を引き離す67票を集めて1位となったのが掲出歌だった。

「手を伸ばしてあなたと、あなたに触れたいのに、苦しくて苦しくて、足りないのです。この世の息が」――世を去る直前の苦しさの中から洩らして家族が書き取った、河野裕子の文字通りの絶詠である(遺歌集『蝉声(せんせい)』所収)。

「息が足りない」という命の水際で振り絞ったあなたへの呼びかけ。感傷を振り払った切迫感が読む者の胸に広がってまことに切ない。

 平成の30年間にはすぐれた多くの短歌が生まれた。にも関わらず関心がなぜこの歌に集中したのか。病いに倒れてからの自身を詠い続けた河野の、その歌の軌跡も力として加わっている。

 河野裕子は昭和21年に熊本県に生まれ、41年に京都女子大学入学、翌年短歌同人誌「幻想派」に参加、そこでのちに伴侶となる永田和宏に出会った。

 44年に戦後生まれ初の角川短歌賞を受賞、戦時下で青春を過ごした女性たちにはない健康で能動的なその恋歌は新しい世代の登場を鮮やかに印象づけた。その後も「たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり」など、期待を超える作品を詠み続け、歌壇を代表する一人となった。

 しかし54歳の平成12年に乳癌を発症、手術して小康を得たが20年に再発・転移、22年8月に他界した。掲出歌はその最後の8月の作。

 病むまへの身体が欲しい雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ

 癌が再発した年の歌(『母系』所収)。病む前の身体が欲しい。直截な願いだが、ではそれはどんな身体か。雨上がりの、あのなつかしい土の匂いの健やかさですよ。四句目十音の大字余りにはなりふり構わぬ切実さがあり、この比喩が素晴らしい。そして結句を七音に収めて短歌らしさを保つバランス感覚も確かだ。

 ところで掲出歌の「触れたきに」の対象は一人か複数か、議論がある。複数説なら家族に向けてだが、〈あなたと、あなたに〉と、ひたすら一人だけを求める最後の願いと読みたい気がする。

 なぜ掲出歌は平成を代表する一首なのだろうか。短歌は人生のドラマを掬いとる詩型だという、歌の力を再確認させたからだろう。

※この記事は、三枝昻之『百年の短歌』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。

三枝昻之(さいぐさ・たかゆき)
1944年生まれ。歌人・評論家。早稲田大学政治経済学部卒。歌誌「りとむ」発行人。日本歌人クラブ顧問。山梨県立文学館館長。宮中歌会始選者。現代歌人協会賞、現代短歌大賞などを受賞、旭日小綬章受章。歌集に『暦学』『農鳥』『遅速あり』、歌書に『昭和短歌の精神史』『前川佐美雄』『佐佐木信綱と短歌の百年』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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