「立憲民主党」大惨敗は必然だった!? これで3度目「駆け込み新党立ち上げ」での敗北 「野田」「安住」「枝野」「岡田」…15年前と変わらぬ顔ぶれの党運営

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「2026年体制」に突入

 日本政治において、自民党と社会党が主要2政党となったのは1955年体制である。その後、社会党は二大政党と呼ばれるほどには勢力を拡大できなかった。そして「一と二分の一体制」と揶揄する呼び名ができた。

 自民党は今回、衆院で再可決を可能とする3分の2を超す議席を単独で占めた。野党にとって、政権交代はおろか、議会としてのチェック機能を十分に果たせるかどうかさえ瀬戸際という状況だ。議会政治として未知の領域である「2026年体制」に突入した感すら禁じ得ない。

 今回の衆院選では、直近まで立憲民主党で要職にあった岡田克也、枝野幸男、安住淳各氏らが議席を失った。いずれも民主党政権当時の幹部であり、自民党などのリクルート事件を受け、奇しくも政治改革の議論に情熱を傾けた世代である。

 そして2度の「壊滅」は、与野党の違いこそあれ、いずれも野田氏が党首の時に起きた。野田氏も同様に、政治刷新を訴えた日本新党の出身であった。

古い民主党的なものの否定

 なお、同じ民主党の流れを汲む党でも、国民民主党は高市旋風を何とかしのぎ、現状水準を維持した。玉木雄一郎代表は09年衆院選で民主党から初当選しており、岡田氏らと比べ、かなり後の世代である。

 玉木氏は投開票を受けた記者会見で、岡田氏らの落選について「去年の参院選の際、古い自民党的なものと同時に、古い民主党的なものも否定されたと申し上げた。民主党政権で幹部、大臣を務めた方が相次いで落選するということは、本当の意味で民主党時代の区切りを迎えたのだと思う」と語った。

 これは、民主党時代と同じ面々が立憲民主党の幹部を占めてきたことについて、暗に疑問視したものだと受け取ってよい。野田氏をはじめ、変わらぬ顔ぶれによる党運営が、立憲民主党の後退を招く一因となった可能性はある。

 一方、落選した当事者は声を上げ始めている。立憲民主党から中道改革連合に移籍して議席を失った岡田悟氏は、新党設立の経緯についてインターネット番組で「どうやって誰が話し合って決めたのか。民主的なプロセスを経ていない。何の議論もしていないのは、国会議員として経験しており、間違いない。党名も政策もそういう状況だった」などと、心情を率直に吐露した。

 高市首相は、2月9日の記者会見で「さまざまな声に耳を傾け、謙虚に、しかし大胆に政権運営に当たっていく」と冷静に語り、慢心せぬよう自戒を忘れなかった。

 野党の光景は、焼け野原さながらである。焦土と化した大地からは、しかし、緑は芽吹かなくてはならない。再生へ長い道のりが始まった。

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関連記事「『中道改革連合』議席半減で起こること 創価学会の集票力への疑念 新党は『内部から崩壊するかも』」では、「中道」の大惨敗がもたらす影響について詳報している。

市ノ瀬雅人(いちのせ・まさと)
大手報道機関にて20年近く国政、外交・国際関係などの取材、執筆、編集を務めた。首相官邸、自民党、旧民主党、国会のほか外務省などの官庁を担当した。

デイリー新潮編集部

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