「立憲民主党」大惨敗は必然だった!? これで3度目「駆け込み新党立ち上げ」での敗北 「野田」「安住」「枝野」「岡田」…15年前と変わらぬ顔ぶれの党運営

国内 政治

  • ブックマーク

「希望の党」立ち上げの時は

 まず、記憶に新しいのは、2017年10月の衆院選だ。ご存じ、小池百合子・現東京都知事による「希望の党」立ち上げの時である。

 都議会で都民ファーストの会を率いるなど人気絶頂だった小池氏は、国政進出を狙い、この衆院選直前に希望の党を設立した。当時、民主党は維新の党と合流して民進党と党名を変えていたが、党支持率は低迷していた。

 そこで、民進党の衆院議員が勢いのあった希望の党に入党する形で合流し、衆院選に挑んだ。しかし、小池氏が左派系議員らを入党させないとした「排除発言」が世論の反感を招くなどし、結果は7議席減の50議席にとどまった。

 これに対し、合流を拒まれたリベラル派など一部の民進党衆院議員は、立憲民主党を立ち上げていた。「排除」された側が、比例区での重複立候補や政党としての選挙運動の確保などのため、やむを得ず立ち上げた側面があった。ところが、苦戦という当初の予想を覆し、40議席増の55議席と躍進。野党第一党を勝ち取るに至った。

2012年の壊滅的打撃

 また、民主党政権だった12年12月の衆院選は、小沢一郎氏とともに民主党を割って出た議員が、新党・日本未来の党に合流して選挙に挑んだ。しかし、日本未来の党は50議席以上減らして9議席にとどまり、目的は遂げられなかった。

 この時は民主党も173議席減らして57議席に激減し、壊滅的打撃を受けた。民主党系2党はいずれも惨敗。これに対し、自民党は290人を超す当選者を出し、政権を奪還した。第2次安倍内閣を打ち立て、その後の自民党1強支配に道を開くこととなった。

 こうした「失敗例」に対し、24年の前回衆院選は、民主党を源流とする立憲民主、国民民主の2党とも、新党設立や党名変更を行わず、従前のまま選挙戦に突入した。その結果、立憲民主党は50人増の148人、国民民主党は21人増の28人と、いずれも当選者を大きく伸ばした。そのままで勝負に臨み、勝利を収めたわけだ。

鶏が先か卵が先か

 もっとも、先に述べたように、新党作戦の有無などに関わらず、もともとの政治状況が影響しただけという反論もあろう。低支持率などの逆境にあったため、だめ元で新たな党を立ち上げざるを得なかっただけという見方もできる。

 実際、民主党系がいずれも大敗した12年衆院選は、民主党が分裂していたという悪条件があった。野田首相率いる民主党が消費税増税法の成立に舵を切ったため、小沢氏のグループらが反旗を翻したのである。

 また、民進党が希望の党に合流して挑んだ17年衆院選も、民進党は低支持率に喘いでおり、直前の都議選で惨敗するなど崖っぷちに立っていた。

 これに対し、立憲民主、国民民主両党が躍進した24年衆院選は、自民党派閥による政治資金収支報告書の不記載事件(いわゆる裏金事件)で自民党は史上空前の逆風を受けており、もともと野党有利であった。

 このように、新党設立とその成否は、「鶏が先か卵が先か」の議論に近いものがあり、一概に理屈付けできない。しかし、当初の目論見と逆になることが目立つのは、皮肉としか言いようがない。

次ページ:13年間、政権を奪還できず

前へ 1 2 3 4 次へ

[2/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。