「立憲民主党」大惨敗は必然だった!? これで3度目「駆け込み新党立ち上げ」での敗北 「野田」「安住」「枝野」「岡田」…15年前と変わらぬ顔ぶれの党運営
総選挙で歴史的大惨敗に終わった「中道改革連合」。立憲民主党と公明党の衆議院議員によって結成された新党だが、旧公明勢は比例名簿上位へ登載されたことにより28名の候補者全員が当選しているため、実態は、旧立民勢の“一人負け”と言える。なぜ「立憲民主党」は一敗地にまみれたのか。旧民主党時代からの歩みを辿ってみれば、それが必然だったと指摘することも可能である。豊富な人脈で国政の中枢を取材し続けてきたジャーナリスト・市ノ瀬雅人氏が読み解く。
【市ノ瀬雅人/政治ジャーナリスト】
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野党第一党として戦後最少の議席
2月8日投開票の衆院選(総定数465)の結果、立憲民主党と、公明党の衆院議員が合流して結成した新党・中道改革連合は歴史的惨敗を喫した。公示前167議席に対し、獲得したのは49議席。野党第一党としては戦後最少という。
高市早苗首相が巻き起こした旋風で、自民党が史上空前の316議席を得たあおりを、もろに食らった。
中道改革連合の当選者のうち、中道結成まで野党第一党だった立憲民主党出身者に限って見ると、公示前144議席に対し、得たのはわずか21議席である。
立憲民主党は、2009年に鳩山由紀夫内閣を樹立して劇的な政権交代を果たした旧民主党の流れを汲む。所属国会議員だけでなく、直近の幹部陣も当時の民主党の主要メンバーが多く就いていた。
現に、最後の代表を務めた野田佳彦氏(選挙当時、中道改革連合共同代表)は、民主党代表として11年に首相の座まで上り詰めた人物である。
目論見と真逆の結果
中道改革連合が結成されたのは、衆院選公示(1月27日)のわずか11日前の1月16日だった。
不意打ち解散と称されるように、年明けに衆院解散が取り沙汰され始めたため、急ごしらえとなった。大敗の原因として、立公両党の連携体制の不十分さや準備の遅れ、政策や党名を含めた党自体の有権者への浸透不足が挙げられる所以である。
しかし、民主党政権が瓦解した12年以降、民主党系政党の歩みを丹念に紐解けば、衆院選前の駆け込み的な新党立ち上げといった動きは、実は今回だけではない。というより、政党としての離合集散や衣替え的な動態が発生することは、いわば毎度のことであった。
そして、新党効果を当て込んで衆院選に挑んだ場合は、狙いに反し、ほぼ敗北に終わっている。これに対し、意外なことだが、むしろ新党結成などの仕掛けやアクションを能動的に起こさずに勝負に出たほうが、議席を増やしたり、勝利を収めたりしているケースが目立つのだ。
もちろん、選挙の勝敗は、政界スキャンダルの有無をはじめ、争点が何であるのかなどが複雑に影響し合う。その時々の政治状況に大きく左右されるため、一概には言えない。ただ、結果論であるにせよ、目論見と真逆になっているとすれば、興味深いことではある。
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