キングレコードでの“裏方”35年を経て… 横浜銀蝿Johnnyが40年ぶりソロ再デビューを決めたワケ

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第1回【小5で大病を患い、音楽に出会った 横浜銀蝿のJohnnyが辿った3度の“リボーン”】のつづき

 このたび、40年ぶりとなるソロ活動を開始したJohnny(67)。ギタリストを務めたバンド「横浜銀蝿」は、デビュー前にドラムの嵐ヨシユキが“公約”した「オリコンシングル1位、アルバム1位、武道館満タン」を達成するための3年3カ月を過ごし、解散した。Johnnyはその後、音楽制作の道に入ることになるが、その理由とは……。

(全2回の第2回)

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3年3カ月で得たもの

 当初は2年間の予定だった横浜銀蝿の活動は、3年3カ月に延びて終了した。大きな充実感がバンドにはあったという。

「あの3年3カ月が自分の人間形成になったと思います。努力の結果が一つ一つ実になっていくと、それまでの充実感とは全然違う。努力して得たものって、こんなに素晴らしいものなんだというね。こういう生き方をこの後もしていきたいと思った3年3カ月だったんです。そのときはたまたま夢が掴めたんですけど、仮に掴めなかったとしても、それだけ一生懸命やったことがそれまでなかったんで、これだけやってダメならしょうがないという納得も多分できたはず。だから一生懸命やることの大切さ、全部叶うわけではなくても、その努力の大切さが分かったんです」

ソロでもヒットしたが……

 銀蝿として活動中の1981年には、自作の詞曲による「ジェームス・ディーンのように」でソロデビュー。オリコンシングルチャートで3位を獲得し、50万枚を超えるヒットを記録した。だが自身は「事務所のプロデュースのおかげ」と謙遜する。

「銀蝿のアルバムでは3枚目のアルバム(「仏恥義理蹉䵷怒」)まで嵐さんやTAKUが1曲ずつぐらい歌ってるんですが、俺だけ1回も歌ってないんですよ。そうするとファンの子が『Johnnyってどんな声してるの』って。それを聴きたいという欲求が高まったところで、『ジェームス・ディーンのように』を出したから、やっぱり事務所のプロデュース能力だったと思うんです。焦らして、煽ったところに、ドラマ(TBS系「茜さんのお弁当」)の主題歌でバーンと来たんでね。やっぱり事務所がすごいですよ」

 当時はバンドと違い、周りに助けてくれるメンバーがいないソロは緊張したというが、「ジェームス・ディーンのように」があったからこそ、また今年の再デビューを迎えることができたと、自作曲に感謝の念を持っている。次作の「$百萬BABY」も続いてヒットし、弟分の嶋大輔の「男の勲章」をはじめ、さまざまなアーティストへの楽曲提供も行ったが、銀蝿の解散後に抱えていた思いがあった。

「ソロにしても作家としても、銀蝿の時ほどうまくいかなかったのが現実。それとは別に、家内は高校生の時のクラスメイトで、銀蝿の後も『ずっと応援してるから最後まで好きなことをやって』って言ってくれていたんです。でも結婚して子供ができて。今度は自分の夢を応援してもらうんじゃなく、俺が家内と子どものために頑張ろうと。銀蝿で一生懸命やったからこそ、同じようにソロでも一生懸命やってダメだったから、悔いもなく区切りもつきました。それで当時、キングレコードの社長だった町尻(量光)さんに働かせてもらえませんかとお願いして、キングレコードに入ったんです」

 30歳になっていた。

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