キングレコードでの“裏方”35年を経て… 横浜銀蝿Johnnyが40年ぶりソロ再デビューを決めたワケ
影響を受けた水橋春夫
制作側として、自身に大きな影響を与えたのは、ロックバンド「ジャックス」でギタリストだった水橋春夫だ。銀蝿のディレクターでもある。
「とにかくカッコよかったんです、水橋さん。音楽で悩んでるときに『Johnnyちゃん、こっちの方が絶対いいよ』とか、的確なサジェスチョンをしてくれるなど、すごく影響を受けました。レコード会社のディレクターってかっこいいなあと思って憧れてました。キングレコードに入って、水橋さんみたいな人がいっぱいいるんだろうなと思ったら、水橋さんが特別だったんだとは思いましたけどね(笑)」
水橋を理想像とし、アーティストの指針になれるような存在であり、プラスになる助言を与えつつ、良い部分を伸ばしてあげるディレクターになりたいと考え、日々を過ごしていた。
「でもね、初めの頃は、どうしても自分を押し付けちゃうところがあったんですよ。アーティストのいい面を引き出すというよりも、自分のやりたいことがあって、それを求めてしまう。また、ついこないだまでアーティストとスタッフの関係だった人と今度は同僚になって、俺もちょっとやりにくかったし、周りのスタッフも(大物アーティストが)トップダウンで入ってきてやりにくかったと思います。嵐さんが銀蝿で宣言した目標みたいな、強いものがないと心が折れちゃうと思いました。銀蝿時代に一つ悔いが残っていることがあって、銀蝿は芸能史には残っていても、音楽史には残ってないと思っていたんです。今度の目標はスタッフとして音楽史に残るようなアーティストを育て、関われるようになるまでは頑張ろうと思いました」
制作側として邁進していたからこそ、銀蝿の結成20周年、30周年などの機会があってもバンドメンバーには戻らなかった。制作側としての目標を成就できていないままで戻るのが嫌だという思いがあったからだ。
2002年にはキングレコードのレーベルである「ベルウッド・レコード」のプロデューサーとなり、そこでサウンドクリエイター、Revoの音楽ユニット「Sound Horizon」のメジャーデビューを手掛けた。
「Sound Horizonがある程度売れたことでまた巡り合わせが来たというか、再びキングレコード本体の制作に戻って、だんだん部門全体を任されるようになってね」
大ブレイクを果たしたAKB48や「トイレの神様」の植村花菜との出会いがあり、セクション長として音楽史に携わった。
水橋が導いた翔との再会
そして2018年、ともに還暦を迎えた翔と約20年ぶりに再会する。きっかけはその年の8月、水橋がこの世を去ったことだった。11月に開かれた「偲ぶ会」が、翔との再会の場となった。
「お互い忙しかったので、20年間も直接会って話してなかったんです。久しぶりっていう挨拶から昔話に花が咲いて。その時、翔くんから『2020年に銀蝿が40周年なんだけど、今のファンの子はデビュー当時にまだ小学生とかでライブに来られなかったような子たち。だから生のJohnnyを見たことがないんだ。動くJohnnyを1回見せてあげたい』と言われたんです。それでまた表舞台に期間限定で立つことになったんですが、水橋さんがもう一回呼んでくれたのかな、と思いましたね」
「T.C.R.横浜銀蝿R.S. 40th」として2020年から2年間(当初、1年の予定をコロナ禍のため延長)、期間限定活動したことは記憶に新しい。
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