「オレはヘマはしない。見つかる心配はない」…25歳の殺人鬼がたどり着いた“恐ろしい結論” 完全犯罪が崩れた「隅田川で発見された証拠」とは
昭和7(1932)年3月7日に発覚した「玉の井バラバラ殺人事件」の捜査は、被害者の特定に結び付かず、暗礁に乗り上げてしまったかにみえたが――事件解決の端緒は、意外なところからもたらされた――。昭和初期の日本を震撼させた、特徴的なバラバラ殺人事件を振り返る。(全2回の第2回)
【写真を見る】被害者の怨念か…細かく切り刻んで浮かんでくる遺体
巡査の記憶から
昭和7年9月。事件発覚から7か月目に入ったが、警視庁は水上警察署に捜査継続を指示する。同月末、署長が署員数名を連れて現場の視察に出た。その中にいた巡査が、遺体の特徴である「富士額に八重歯」から、3年前に自身が職務質問した、ホームレスの男を思い出した。
秋田県出身の男は幼い娘を連れていた。妻に死なれて失業し、東京に流れ着いたという。巡査は郷里に帰る電車代を出してやったが、その後の消息は不明だった。この情報を得て、男の行方を追ったところ、男は娘と二人で本郷区湯島花町(現在の文京区湯島)のH(当時39)という春画描きのもとに身を寄せていたことが判明する。
早速、Hを聴取すると、「確かに二人の面倒を見ていたが、2月ごろにどこかへ行ってしまった」というのみ。だが周辺捜査から怪しいとみていた捜査第1課が厳しく追及すると、ついに容疑を認めた。Hは浅草にいた父(30)と娘(10)を自宅に連れ帰っていた。
〈「娘がかわいそうで連れてきた」というのは口実で、「本当は秋田の財産家の息子」という(男の)ホラを真に受けて、金をせびろうとしてのことだった〉(三木賢治著『事件記者の110番講座』毎日新聞社刊)
ところが、男はHの自宅に住み着き、金をせびり、同居していたHの母や妹に乱暴を振るうように。さらに、妹が内縁関係の夫との間にできた子どもにも暴力をふるい、のちに子供は死んでしまう。頭にきたHは弟と共に男をスパナやバットで殴打して殺害し、遺体を損壊。さらに妹にも手伝わせて遺棄したのだった。
Hは男の遺体をノコギリでバラバラにしているが、その時の心境をこう述べている。
「この足で母を蹴った、この手で妹を殴り、弟を殴った。こうしてやるぞ、こうしてやるぞと歯ぎしりしながらやった」
後に懲役12年の刑が確定した。殺された男の娘は、後に警察に保護されたという。
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