「ヒョー、ショー、ジョウ」で大相撲を沸かせ…「嫌なこと、曲がったことはやらない」米国人が“方言での表彰”を続けていた理由

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 安青錦が2場所連続、新大関としては20年ぶりの優勝を決めた平成8年1月場所。土壌上での表彰式を見つつ、「あの人のことをふと思い出した……」という長年の好角家もいることだろう。紋付羽織袴に身を包んだ、小柄な米国人男性。「ヒョー、ショー、ジョウ」と特徴的なイントネーションで声を張り、優勝力士に副賞を授与していたデビッド・ジョーンズ氏である。

 1961年から30年にわたって“土俵にのぼり”続けていたジョーンズ氏。好角家はもちろん、お茶の間にも愛された彼が世を去ったのは、2005年2月2日のことだった。命日に合わせてその生涯を振り返る。

(以下、「週刊新潮」2005年2月17日号「墓碑銘」を再編集しました)

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31回も表彰を受けた大鵬親方

 1961年の大相撲夏場所千秋楽――。初の“土俵入り”を前にデビッド・ジョーンズさんは土俵下に控えていたが、自分の前に表彰状を読んだ人の声が小さくて聞こえなかったので、腹を決めたそうだ。「大きな声で読み上げよう」と。

 こうして「ヒョー、ショー、ジョウ」という千秋楽の風物詩になったあの声が、初めて響き渡ったのである。

「私は32回の優勝のうち31回、あの方に表彰してもらってますけど、今度はどういうふうに言うのか、いつも楽しみでしたね」

 と述懐するのは元横綱大鵬の大鵬親方だが、実際、「アーンタハ、ソヤサカイ、優勝シハリマシタ」などと、場所ごとに大阪、名古屋、博多弁を使い分けた。

「世界の旅」にも全面協力

 軍人だった父の駐留先のフィリピンから帰還する途中、太平洋上で生まれたからか、根っからの親日派。朝鮮戦争の従軍記者を務めた帰りに訪日して感激し、サンフランシスコ市に勤務中、パンアメリカン航空から極東地区広報担当支配人として引き抜かれ、一も二もなく承諾したという。

 だが、実は、ジョーンズさんが1955年に来日した時には、パンナムはすでに2年前から大相撲の優勝力士に、あの地球に羽がついた形のトロフィーを贈っていた。だからジョーンズさんは、まずは別の方面で力を振るった。

 旅行作家の兼高かおるさんが言う。

「1959年にTBSテレビで、私が世界を訪ねて視聴者に知らせる『世界の旅』が企画されて、それに全面的に協力してくださったのがミスター・ジョーンズでした。交通費から行く先々のホテルや自動車の案内まで。そのうえ土地の政府に協力するように話してくれたのも、みなパンナムでした。能が外国に行くときも彼がヘルプしていましたね」

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