「ヒョー、ショー、ジョウ」で大相撲を沸かせ…「嫌なこと、曲がったことはやらない」米国人が“方言での表彰”を続けていた理由
方言を使っていた理由
1961年、新任の総支配人が羽織袴で土俵に上るのはいやだと言い出し、儀式は中止になりかけたが、ジョーンズさんは猛反対。「ならば君がやればいい」と言われ、それから30年に及ぶヒョーショージョウ人生が始まるのである。
「千秋楽ではいろんな賞が渡され、その間はアナウンサーが場所を振り返っていて、ジョーンズさんの場面も最初はアナウンサーが声を被せていたはずです。が、だんだん千秋楽の名物になり、ジョーンズさんの声を活かすようになった。私も声を被せずにジョーンズさんの声を聞いてもらいました」(元NHKアナウンサーの鈴木文弥氏)
163センチの小柄なからだで42キロもあるトロフィーを抱え、1973年には土俵上で転んだことも。少々おどけすぎという声もあったが、
「とにかく竹を割ったような方で、嫌なこと、曲がったことは決してなさらない。方言を使うのも、地方の文化を尊重するお考えだったからだそうです」
と、親しかった歌手のペギー葉山さん。相撲は世界一のスポーツだと誉め、
「飛行機に大鵬という名前をつけたいと。想像上の鳥で速い。その名をつけたいと夢の話をしたこともありました」(大鵬親方)
お別れ会の日に脳梗塞で倒れ
一方、兼高さんによれば、
「シェークスピアの長い文章を空で喋れるなど、いろんな知識があり、お宅にはクラシックのレコードが壁一面に飾ってありました」
本社の副社長を打診されながらも断って日本に留まったジョーンズさんも、体力が続かず、91年夏場所で“引退”。トロフィーと羽織袴は相撲博物館に展示され、同じ年にはパンナム自体が消滅した。
翌年、ジョーンズさんはアメリカに帰国するが、
「帝国ホテルでお別れ会を開くはずでしたのに、その日に具合が悪くなってしまわれて」(ペギーさん)
脳梗塞だった。言葉と右半身に障害が残った。
「日本から帰るのが楽しくなかったのかもしれませんね。その後も日本に戻ることはできず、胸中を思うと……」(兼高さん)
ネブラスカ州オマハで2005年2月2日に死去。89歳だった。





