サザエさんは「アガサ・クリスティ」の愛読者、NYタイムズが1面で報じた「ポワロ死す」…没後50年で振り返る「ミステリーの女王」秘話

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薬剤師の助手になったことが…

 クリスティ個人についての逸話にも迫りたい。

 1890年、イギリスで資産家の父と母の下に生まれたが、驚いたことに、母の方針で、正規の教育を受けていなかった。年が離れた姉や兄は寄宿学校や入隊で家にいないことが多く、遊び相手は使用人やメイド。もっぱら父の書斎で本を読みふけるようになり、想像力を逞しくしていく。その一方で、大変な美声の持ち主でもあり、歌手を目指し、16才の時にパリの音楽学校に入学したが、ほどなく退学。家庭環境の影響か、内気な性格に育ってしまったため、あがり症で、ステージ自体に不向きだったのだ。

 未来に繋がる転機が訪れたのは20代半ばの第一次世界大戦中、薬剤師の助手として勤務していた時だった。実はクリスティの姉は大変な文才があったのだが(※後年、プロとして戯曲も執筆している)、その姉に「あなたには推理小説を書くのは無理」と言われた過去があった。助手としての仕事の関係上、目の前には毒薬が数多くあり、その特性や効能にも詳しくなっていた。そこで、姉の言葉に対抗する気持ちが、頭をもたげた。

(ミステリー、書いてみようかしら?)

 こうして書き上げた第1作『スタイルズ荘の怪事件』(1920年)は、もちろん毒殺トリックを活かしたものだったが、実は事前に8社以上に出版を断られている(※本人も何社で断られたかは、記憶が曖昧のようだ)。これが「ミステリーの女王」が生まれたきっかけだった。

 そこから6年後、人気作家への道を駆け上っていた時に一騒動が起こった。世に言う“アガサ・クリスティ失踪事件”である。

 1926年12月3日(金)のこと。最初の夫であるアーチボルドが不在の中、午後9時半ごろクリスティは車で外出したが、翌朝、横転した車をジプシーの少年が発見。中にあった運転免許証からクリスティの車とわかったが、本人の姿はない。マスコミは「美人ミステリー作家、失踪」と大きく書き立てた。日を追うごとに報道は過熱し、情報提供を求め、変装した場合にどうなるかを示した合成写真掲載はおろか、有力な情報には懸賞金を出すという新聞社まで現れた。

 10日後、ある高級ホテルと契約しているバンド歌手の目撃談より、同ホテルに滞在しているクリスティが発見された。一時的な記憶喪失に陥っていたという。

 失踪の原因はさまざまだが、1番は夫より離婚を切り出されたことだった。夫はナンシー・ニールという女性と不倫しており、なんとクリスティが失踪した夜もその女性の下にいたという。この時のクリスティについて、後年の研究では、激しいショックのため衝動的に出奔するヒステリー性とん走症に陥ったという分析がなされている。何より、その分析を裏付けるのが、クリスティが失踪時、ホテルの宿帳に書きこんだ偽名だろう。

「ミセス・ニール」(※3)

 他にも、同年には母が死去し、また、同年6月に出版された名作『アクロイド殺し』が、余りにも意外な人物を犯人としていたため話題となり、「ミステリーとして、フェアかどうか」の疑義が起きるほど紛糾していたことも見逃せない。精神的な疲労はピークだったと考えられる。

 もともと内向的な部分があるためか、この一件を機に、うがった報道では“大のマスコミ嫌い”とされてしまった。実際に、写真を撮られるのを嫌い、前述のポアロの死についても、本人は公式コメントを出していない。

 しかし、自らを慕う読者には優しく、ファンレターの返事を出すのはもちろん、自宅まで招待した例もある。晩年、日本のファンからの「この世から1つ消すとすれば何ですか?」という質問に書いた、彼女の答えを紹介しておきたい。

「騒音」(「AERA」2006年2月6日号)

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