「大蔵省のパワハラ番付では上位」「舛添要一氏との結婚生活はDVで破綻」 片山さつき財務大臣の波乱万丈の人生
舛添要一氏との結婚生活
最初の結婚は1986年。お相手はご存じ、前東京都知事の舛添要一氏である。衆院議員の近藤鉄雄氏(故人)の紹介による見合い結婚だったが、わずか3年で離婚に至る。
「結婚する前、お祝いを兼ねて舛添さんを同期会にお招きしたことがあるんですよ。だから離婚したと聞いて、『えーっ』となりました。それからは誰も舛添さんのことに触れなくなりましたね」(前出の同期)
大蔵省の激務によるすれ違いもあったようだが、原因は「夫からの家庭内暴力」とウィキペディアにまではっきりと書かれている。
1990年に再婚した現在の夫は、ゴルフクラブやライターなどで知られる「マルマン」社長を務めた片山龍太郎氏である。さつき氏は40歳を過ぎるまで不妊治療をしたようだが、子宝には恵まれなかった。
「再婚して間もない頃、片山さんが夜中に省内の自販機でパンを2個買っていたというんです。聞くと、『これ、旦那の朝ごはん』と言っていたそうです。それくらい一生懸命に働いていたわけです」(同)
「迷いに迷った末に出馬したと聞いた」
どこまでも王道を行く彼女は「女性初の主計官」という肩書を得た1年後の2005年、23年間勤めた財務省を辞め、国政に進出する。
「自民党を、ぶっ壊す」
時の総理・小泉純一郎氏はそうぶち上げ、郵政民営化に反対する議員を「守旧派」と決め付け、全国に“刺客候補”を送り込んだ。
この時、大量の「小泉チルドレン」が誕生したが、片山大臣もその一人として縁もゆかりもない静岡7区から出馬。自民党の公認が得られなかった城内実氏を破り、遂に国会議事堂のレッドカーペットを踏む。
「大蔵省を『政治家への登竜門』と考えている人は同期では少なかったけれど、省全体として見ると、やっぱり多いですよね。ただ、彼女は落下傘候補でしたし、本人も厳しい選挙戦になることは分かっていたはず。ですから二つ返事で受けたのではなく、小泉総理から懇願され、迷いに迷った末に出馬したと聞いています」(前出の同期)
厳しいどころか、わずか748票差での当選である。さっそく経産省の政務官に就くが、これまでの輝かし過ぎるキャリアからすれば大したポストではない。そんなことより、浜松市を中心とする静岡7区の票が喉から手が出るほど欲しかったのである。
[2/3ページ]



