「三木首相殴打事件」の右翼がすべてを目撃していた…保釈中の「田中角栄」にケタ違いの警備が敷かれた理由

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「大日本愛国党書記長、フデヤスです」

「角栄邸の真向かいは、日本女子大なのですが、その壁やガードレールに、巨大な横断幕が何枚も掲げられているのです。〈田中角栄は政界を引退せよ〉〈ウソをつくな〉〈有罪〉等々。その前に座り込んで、うちわ太鼓を叩きながら『引退しろ~』などとシュプレヒコールみたいな声をあげている男がいました」

 見たところ、40歳代の中年である。背後の横断幕のなかに〈日本愛国党〉と書かれたものがあった。やはり、右翼のようだ。

「すでに早朝出勤の人々がその前をゾロゾロ歩いていましたが、みなさん慣れているのか、見向きもせず、通り過ぎて行きます。目の前の角栄邸は、固く門を閉ざしたままです。このころ、すでにポリスボックスはありませんでしたが、門の内側に受付風の警官詰所があったのです。しかし、何の反応もありませんでした。おそらく、角栄邸側も、もう慣れてしまっていたのでしょう」

 記者氏は身分を明かし、男に「写真を撮ってよいか」と聞いた。男は、無言でうなずき、太鼓を叩きつづけている。そして、「あなたは、愛国党の党員なのか」と聞くと、男は、意外な返事をした。

「大日本愛国党書記長、フデヤスです」

 当時、その名は、右翼界に鳴り響いていた。元記者氏も、知っていた。1975年6月16日、故・佐藤栄作元首相の国民葬の際、日本武道館前で、当時の三木武夫首相に殴りかかった男、筆保泰禎氏(取材時、41歳)である。三木総理は地面に仰向けに転倒し、メガネもはずれて遠くまで飛ばされた。

「実は、この事件を契機に、要人警護のスタイルが大きく変わったのです。それまでは、あまり目立たないように、陰から守るような感じでした。しかし、これ以来、SPが堂々と要人の周囲に壁のように立ちはだかるスタイルになりました。それだけに、変な言い方ですが、筆保氏は、“右翼界のスーパースター”のような存在でした」

 その“スーパースター”が、田中角栄元首相の退陣を求めて、毎朝、角栄邸の前に座り込んで、太鼓を叩いているのだ。

 元記者氏は、記事の主旨を説明し、「あなたが見ている範囲で、警備の様子を教えてほしい」と、正式な“取材申し込み”をした。すると筆保氏は、「本部の総裁を通して申し込んでください」という。

 元記者氏は、その足で、当時すでに80歳を過ぎていた、右翼界の生けるレジェンド、大日本愛国党・赤尾敏総裁(1899~1990)のもとをたずねた。

「それまで、赤尾敏さんといえば、銀座・数寄屋橋で毎日やっていた“街頭辻説法”か、TVの政見放送でしか見聞きしたことがありませんでした。特に政見放送で、強烈なダミ声で『ファッショなぜいかん! 日本は天皇さんの国なんだ! 天皇さん中心に、みんなでファッショでまとまるんだよ!』と咆哮していたのが、忘れられません。そんな赤尾総裁の“説法”を、2時間近く聞かされました。こちらは徹夜ですから、もうフラフラでした。その後、ようやく筆保書記長のインタビューとなったら、一気に目が覚めました。実に驚くべき内容だったのです」

 筆保氏は、田中角栄の警備の様子を、微に入り細に入り、目撃していたのである。

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