ロックンローラー「内田裕也」がキレた! 日本語とロックをめぐる伝説的「揉め事」の真相
「ロックは英語でやるべきもの」
内田の発言には感情的な面も見られたが、背景には、内田が事実上プロデュースしていたフラワー・トラヴェリン・バンド (FTB) に関わる問題があった。内田には、ロック界で成功するにはまず本場・英米で実績を積む必要がある、との持論があり、FTBはその尖兵として海外進出のチャンスを狙っていた。
1970年に大阪で開かれた万国博の折、来日して万博に出演したカナダの有力バンド・ライトハウスと知り合い、それをきっかけにFTBは運良くカナダに渡ることができた (1970年12月)。だが、仲介に入った人物が怪しげな人物で、FTBは異郷の地に渡ったものの、経済的な面でも音楽活動の面でも苦境に陥っていた。その上、各種メディアも含めた日本の音楽業界は、FTBに対しても、日本のロックに対してもきわめて冷淡な態度だった。内田がこうした状況に大きな苛立ちを感じていたことは想像に難くない。
しかも、当時の内田にとって「ロックは英語でやるべきもの」だった。日本語で歌うことは、グループサウンズ(GS)時代と同じように、レコード会社、テレビ局、プロダクションの「金儲け」の餌食になるリスクが高く、日本におけるロックの成長を阻むという危機感があり、日本語ロックに強い警戒感を抱いていたのである。むしろアメリカなど本場で成功することを通じて、日本のロックの足元を固める方が先決と考えていた内田にとって、英語は当然の選択であり、日本語ロックを標榜するはっぴいえんどの受賞など面白いわけがなかった。
日本語はロックにのるか否か
内田の個人的な憤懣も論争の発端にはなっているが、はっぴいえんどの松本隆、大滝詠一も参加したこの座談会で最も注目を集めたのは、「日本語はロックにのるか否か」というテーマだった。
「なんか普段話しているような言葉がそのまま歌になって、バッチリ乗ってるってとこが、すごくいいよね」(ミッキー・カーチス/ミュージシャン)
「欠点はあるけど、とにかく、日本語もロックのリズムに乗るということを証明してくれただけでもすごく大きい」(福田一郎/音楽評論家)
「言葉が聞き取りづらいという欠点もあるし、完全に日本語をロックに消化しているとはいえないだろうな」(折田育造/レコード会社ディレクター)
「歌詞とメロディとリズムとのバランスというかね、日本語とロックとの結びつきに成功したといわれているけど、そうは思わない」(内田)
日本語とロック。今、あらためて過去の発言を取り上げてみると、まるで水と油をいかに融合するかという議論を聴いているような気がする。それほどまでに日本語はロックにのらないと考えられていたのか。今も愛され続けているグループサウンズ(GS)がほとんど日本語であることを考えると、なぜ「のらない」派が強硬だったのか理解できないかもしれない。当時の状況を見てみよう。
[2/3ページ]

