追悼・プリンスの天才伝説(2) ローリング・ストーンズ前座事件
デビュー作で借金を背負うことになったプリンスは、その返済のためということもあり、大急ぎでセカンド・アルバム《愛のペガサス》を製作した。
この時の製作期間はぐんと短縮されて6週間。「ヒット」が至上命題となったこの作品を6週間で仕上げ、さらに狙い通りに初のヒット曲も飛ばすことに成功。
この後、彼は次々とヒットチャートにランクインする常連となるのだが、大きな挫折も味わっている。
それが「ローリング・ストーンズ前座事件」である。1981年10月9日、ロサンゼルスでのローリング・ストーンズの公演で「事件」は起こった。
『プリンス論』(西寺郷太・著)から引用してみよう。
「ローリング・ストーンズのミック・ジャガーから高い評価を得たプリンスは、彼らの公演の前座を2日間依頼される。マネージメントやレコード・レーベルにしてみれば、これほど素晴らしいパブリシティはない。
しかし、2日にわたるパフォーマンスの結果は惨澹たるものだった。
会場に集まったストーンズのファンたちは、トレードマークのトレンチコートと黒ビキニのプリンスがステージに現れるやいなや、罵倒とブーイングを繰り返し、ドリンクのカップや靴を投げ込み、演奏を妨害。バンドはパフォーマンス不可能な状況に陥り、開始20分でプリンスはステージを降りる羽目に。
失意と衝撃のあまり、彼は故郷ミネアポリスに飛行機で帰ってしまったが、なんとかバンド・メンバーに説得され、10月11日の2度目の舞台に戻る。
しかし聴衆の反応は初日より酷く、わずか3曲しか演奏できずに終わった。
両日通ったストーンズ・ファンの中には、2日目にわざわざ腐った食べ物をプリンスに投げるために持参した者もいたと伝えられている。
ストーンズは、黒人音楽を愛する英国の白人によって結成。人種の壁を越え、黒人音楽を貪欲に取り入れることで自らのサウンドを確立したグループ。
そのファンが皮肉にもプリンスのような黒人が舞台に上がると、むき出しの嫌悪を浴びせかける。(略)
彼らオーディエンスが示した、『腐った食べ物を投げ入れる』という下卑た態度の奥底に『人種差別』が存在したことを否定できないだろう。
その夜、ミック・ジャガーは自分たちのファンの反応に激怒し、オーディエンスに向かってこう言ったという。
『プリンスがどんなに凄い奴なのか、オマエらにはわからないだろう』」
そのミック・ジャガー(72)のプリンスへの評価は揺るぎないものだった。今回の訃報に接して、ミックは哀しみと共に、こうコメントを寄せている。
「プリンスは、革命的なアーティストであり、偉大なミュージシャンであり、そして偉大な作曲家だった。独創性あふれる作詞家であり、驚くべきギタリストでもあった。その才能に限界はなかった。この30年でもっともユニークかつエキサイティングなアーティストだった」